ドライブ・マイ・カー考察ネタバレ!ラスト韓国の意味と解釈,なぜ棒読み演技?劇中劇パラドックス構造解説

日本映画史上初となるアカデミー賞作品賞など4部門ノミネートで大ニュースになっている映画『ドライブ・マイ・カー』。「ぶっちゃけ、なぜそこまで評価されているかわからない!つまらない!」という人も多いようなので、どう解釈すれば良いか、なぜ絶賛されているのかを噛み砕いて説明していきます。

カンヌ国際映画祭 脚本賞、全米映画批評家協会賞 作品賞受賞など海外での評価が非常に高く、2022/03/28発表の第94回アカデミー賞で国際長編映画賞を獲得しました。

ぶっちゃけ感想・評価韓国ラストの本当の意味・解釈棒読み演技の是非劇中劇のパラドックスアカデミー賞の他ノミネート作と比較をまとめました。

他のサイトで紹介されているような一般的なものでなく、これまであまり解説されていない独自視点での考察になります

あなたが考える『ドライブ・マイ・カー』の評価理由は!?(※投票どうぞ/1人3つ回答可)

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映画『ドライブ・マイ・カー』作品情報・あらすじ

公開・制作国・上映時間:2021/08/20・179分
英題:『Drive my car』
監督:濱口竜介
脚本:濱口竜介/大江崇允
原作村上春樹「女のいない男たち」
製作:ドライブマイカー製作委員会
出演
家福悠介|西島秀俊(『クリーピー 偽りの隣人』)
渡利みさき|三浦透子
高槻耕史|岡田将生
家福音|霧島れいか
イ・ユナ|パク・ユリム
コン・ユンス|ジン・デヨン
ジャニス・チャン|ソニア・ユアン
柚原|安部聡子
ペリー・ディゾン
アン・フィテ

村上春樹短編の映画化としてはユ・アイン、スティーヴン・ユアン出演でイ・チャンドン監督の韓国映画『バーニング劇場版』(2018)も傑作でした。単純な比較はできませんが、『ドライブ・マイ・カー』はそのクオリティを超えていると思います。

あらすじ:2年前に妻を失った舞台俳優・家福(西島秀俊)が、寡黙な若い女性ドライバー・みさき(三浦透子)を雇います。演出家としてチェーホフの劇を演出する過程で妻の元不倫相手で役者の高槻(岡田将生)や他の役者と交流していき…。

おすすめ度90%
セリフ・世界観95%
ストーリー92%
テーマ性95%
IMDb(海外レビューサイト)7.8(10点中)
Rotten Tomatoes(海外レビューサイト)批評家98% 一般81%
Metacritic(海外レビューサイト)スコア91点

※以下、映画『ドライブ・マイ・カー』のストーリーネタバレありなので注意してください!

映画『ドライブ・マイ・カー』ネタバレ感想・評価

映画『ドライブ・マイ・カー』

©︎ドライブ・マイ・カー製作委員会

邦画『ドライブ・マイ・カー』の評価は95点。個人的に今まで見た邦画で5本の指に入ります

すでにアカデミー賞作品賞ノミネートを知っていたので期待値は爆上がりでしたが、それでも開始0秒からラストまで3時間ずっと画面に引き込まれっぱなしで、期待を軽々と超えてきました!

村上春樹の短編小説「女のいない男たち」の中から、「ドライブ・マイ・カー」「シェエラザード」「木野」の3つのストーリーから構成されていますが、原作の良さを活かしつつ、キャラや設定などは大きく肉付けされていました。

3つの短編をまとめた濱口竜介監督と大江崇允さんの脚本・脚色のレベルが非常に高いです。

メタファーに満ちたセリフなど、文学が好きな人はもちろんドンピシャでしょう(好みはわかれるでしょうけど)。

一方で、内面とリンクするような絵作りでも優れており、単なる文学の映像化に収まっていないのも凄いところ。

CineMag
言葉だけでは抽象的でむずかしいことが、映像でしっかり説明されているからこそ、心を揺さぶられるのです。

棒読み演技や劇中劇が伝えるテーマ性が、演技理論を知らない人にまで伝わるように作られているのも素晴らしい。劇中劇自体にまで見入ってしまうなど、視聴しながら完全に映画の中に吸い込まれていました

濱口竜介監督の力量と才能のなせる技でしょう。

CineMag
映画『ドライブ・マイ・カー』の何が凄いかひとことで述べるなら、棒読みメソッドの成功に加え、脱構築的な手法と心理描写のシンクロです。

ただ上記の猫ように、ひとことで解説すると抽象的で意味不明になってしまうので、あとの項目でもっと具体的に説明していきます。

ドライブマイカー考察:韓国ラストの意味と解釈

なぜラストシーンでは、みさきだけ韓国でサーブ900(赤い車)に犬と乗っているのでしょうか?

結論からいうと、議論されている『ドライブ・マイ・カー』のこのラストについてはメタ的な意味で過去に執着した家福は死んだと表現しているのだと感じました。

CineMag
家福が本当に死んだのではなく、妻・音の象徴であるサーブ900から解き放たれたという意味です。

もう少し具体的なフェーズで考えると、映画内で演じられたチェーホフの戯曲『ワーニャ叔父さん』の登場人物エレーナが、ワーニャにそうあって欲しいと願ったように、家福は演出家としてみんなの仲を取り持つ人物になったのではないでしょうか。

みさきが運転する家福の車に犬がいるので、彼女は韓国人夫婦ユンスとユナとも仲良くなって、家福の演劇の韓国公演にもついて行ったのかもしれません。仲良くなる過程で家福の役割が大きかったのだと思います。

エレーナ:ですからあなたも、不平ばかり仰しゃらずに、みんなを仲直りさせる役にお回りになるといいわ。
ワーニャ:じゃ、まず第一に、この僕を僕自身と仲直りさせてください。
引用元:アントン・チェーホフ
家福は『ワーニャ伯父さん』ができなかったことを、現実で実践できたのでしょう。家福(ワーニャ)とみさき(ソーニャ)は、戯曲の土地にとどまる結末とは違って、土地を離れ新天地へと羽ばたきました
そしてみさきの顔の傷も消えています(心の傷も癒えたのでしょう)。家福以外の人にも心を許したのだと思います。全てが希望に向かったのです。
CineMag
ラストシーンには戯曲『ワーニャ伯父さん』の失意に沈み、一筋の糸にすがるような結末とは逆に、悲しい場所=心の傷にとどまらず、他の土地(人生のネクストステージ)にみんなで移ったというハッピーエンドの意味が込められています。

妻の不倫相手・高槻の心の闇を最後まで読めなかった家福

ドライブマイカー 西島秀俊と岡田将生

©︎ドライブ・マイ・カー製作委員会

『ドライブ・マイ・カー』のキーパーソンが岡田将生演じる高槻です。

高槻は家福の妻・音の不倫相手。

家福は彼を役者に採用して見下して不倫を精神的に乗り越えようとする一方で、恨み抜きで演技の本質を伝えて彼を成長させメンター的な立ち位置を全うすることで、自分を一段高いステージに上げようとしているのです。

感想を語る犬
序盤で高槻に対する家福の葛藤がわかり、この時点で結構深いですね。

ただ高槻は家福が当初考えていたような底が浅い人物ではありませんでした。演技では家福に及ばないものの、家福と妻・音の芝居に通底するものを見出し、心の底からそれを欲しています。

高槻の価値観が車内での長い語り(最高のシーンでしたね)で家福にも伝わり、家福はそのあと彼の言葉通りに行動することになります。

高槻は家福が求める答えを持っていたともいえるでしょう。

さらに、好青年に見える高槻はスマホで無断撮影した人物を撲殺するほどの狂気・闇を抱えていました。この点も家福は読めていなかったでしょう。

車中での語りでは、家福が高槻の闇に加え、妻・音の闇も見えていなかったと判明します(家福の哀愁がさらに増しますね)。

高槻は家福の精神的な限界を知ってか知らずか、音が作った空き巣少女のストーリーの続きを語り、家福に本質を知らしめました。

そしてその後、あっさり撲殺の罪を認めて逮捕されます。

家福に演技を認められて音の演出の意味もわかり、彼にはもうこれ以上の幸せや、生きる意味がないのでしょう。

CineMag
高槻はサスペンス的なカタルシスも持つ完璧なキャラクターでしたね。

棒読みで演技と言葉にフォーカス!

演技と言葉に集中できる棒読みのメリット

映画『ドライブ・マイ・カー』

©︎ドライブ・マイ・カー製作委員会

映画『ドライブ・マイ・カー』はセリフが棒読みでつまらない!という感想がネット上で多いですが、棒読みになってしまっているのではなく、あえての棒読み演出です。

フランス人ジャン・ルノワール監督(1894〜1979)のイタリア式本読み(役者に棒読みで台本を読ませてから演技させることによる、演技性の排除)を採用していると濱口監督も語っています。

本作の場合、台本の読み合わせだけが棒読みなのではなく、実際の演技でも明らかに棒読みが反映されていると思います。

CineMag
言い換えれば、棒読み縛りで演技しているのです。素人の棒読みになってしまう演技とは一線を画し、見るに耐えない感はありません。

そして棒読み演技には大きなメリットがあります。

結論から言うと、棒読みでセリフのイントネーションを廃し、視聴者の脳のCPUを節約できます。

普通であれば視聴者は、①演技 ②発声・イントネーション ③言葉の意味という3つの情報を処理していたのが、演技・言葉の意味の2つだけに集中できるようになるのです。

視聴者が発声・イントネーションから登場人物の感情を受け取る工程を省くことで、演技と言葉から気持ちを想像する、能動的に鑑賞する作品だといえるでしょう。

言葉(テキスト)の意味をより深く理解できるため、村上春樹の名セリフによる文学的な没入感が得られるのはもちろん、演技や背景など映像にも集中できるのもポイントです。

CineMag
文学・演技それぞれ強みを最大限活かしたということを見逃してはなりません。

映画『ドライブ・マイ・カー』は、ただ文学を映像化しただけではなく、それを映像の力で裏付けしたいいとこ取りの作品だといえるでしょう。

棒読みセリフはメタファーをイメージしやすい

視聴者は言葉・テキストの意味に集中できるので、その言葉の裏にあるメタファーを想起しやすくなります

もし仮に登場キャラが感情を表に出すような喋り方だと感情表現に意識がいってしまい、メタファーの想像まで及ばなくなってしまうでしょう。

さらに感情表現がないことで、今この瞬間だけでなく過去も含めたもっと大きな時間の枠組みで登場キャラクターを捉えられる利点も生まれます。

そういった意味でも濱口監督の棒読みメソッドは効果があると感じました。

細部の過度な意味づけがなく、全体像が破壊されない

フランスの哲学者のロラン・バルトは演劇批評の分野でも知られていますが、彼はブレヒト演劇に傾倒しており「細部の過度な意味づけは全体の作用を壊す」と述べました。

この言葉はドライブ・マイカーの演出にも通じると思います。

ドライブ・マイカーの棒読みっぽいセリフはこの“細部の過度な意味づけ”を防いでおり、全体性が生まれる結果に繋がったのです。

劇中劇のパラドックスとメタファー

ドライブ・マイ・カーの劇中劇の場面

©︎ドライブ・マイ・カー製作委員会

まず念頭に置いてほしいのが、先程解説したなぜ棒読みが効果的かにつながる“俳優の大袈裟な演技はダメ論”。イタリア式本読みでなくても、「役者は演技をするな」という考え方は古今東西にあります。

ジブリの宮崎駿監督が素人を声優に起用することや、黒澤明監督が町人のシーンを撮るときに役者に何も言わず何時間もやらせてヘトヘトにしてからカメラを回すなどなど。

CineMag
極端にいうと、演技している時点でリアルから遠ざかっているという考え方です。

これは『ドライブ・マイ・カー』の劇中でも強く説明されています。

主人公・家福が、登場人物の気持ちについて迷っている役者に「あなたがそれを考える必要はない」と言い放ったのが印象的でしたね。

俳優の固定観念で変な解釈を加えて演技をすれば、ストーリー全体の意味が変わってしまい、劇がひどいものになる可能性があるからです。

もちろん、俳優が一生懸命キャラクターの気持ちを考えて表現し、それが映画などで功を奏する場合も沢山あります。

今の日本のメジャー映画では、どちらかというと俳優が自分の解釈を演技に入れ込む方が主流ではないでしょうか。

CineMag
ただし俳優それぞれが登場キャラの解釈をしてしまえば、木(キャラクター)を見て森(ストーリー)を見ず状態になってしまう危険があるということ。

結論を述べると家福が実践するこの演技理論が人生におけるテーゼでありつつ、後半にアンチテーゼとしても発展していくのが『ドライブ・マイ・カー』の構造的に優れた点です。

家福の演技論を彼の人生に置き換えてみましょう。彼は「妻を失った心の傷だけに執着せずに人生(ストーリー)を見ろ!」という1つの答えを持っているにも関わらず、過去を克服できていません。

演技理論から影響を受けたのか、家福は私生活でも棒演技ですが、実はそれは正解であり不正解なのです。

感想を語る犬
パラドックス状態で苦しんでいるからこその哀愁。とても味わい深いですね。

『ドライブ・マイ・カー』の凄いところは、この棒演技理論によって見応えある映画の構築に成功していながら、最後にそれすらアンチテーゼとして破壊することです。

棒読み演技と感情を込めた演技の二項対立を否定するような、脱構築的な手法ですね。

終盤で西島秀俊演じる家福がみさきの前で泣きますが、ここが自身の演技理論を破壊した瞬間であり、正しく傷ついた瞬間です。

高槻が言ったように家福は自分自身を深く見つめ直しました。

単純に劇中劇によるメッセージ(ワーニャ=家福、ソーニャ=みさき)が人生の答えのメタファーとなっているだけでなく、同時に「自分の行動は、人生を俯瞰している“距離を置いた自分”ではなく、いまこの瞬間を生きる自分で決めろ」と伝わってきます。

家福は“演技をしない演技”で妻を失い、その傷からの逃避をやめ、しっかり傷ついて、自分自身を再認識しました。

人生俯瞰モードから今を生きるモードになり、過去や未来よりも今を選択したのです。

この瞬間、彼は演技をしなが生きることから卒業しました

CineMag
演技手法のパラドックスを、家福の心の再生のメタファーとする構造が素晴らしく、心を揺さぶります。

観客は「劇中劇の演技理論によるパラドックスの構造だ」とイチイチ思いつかなくても、ひとつの信念が破壊され、再構築されたような美しさや感動は伝わってきます。

だからこそ映画『ドライブ・マイ・カー』は海外の賞レースでも高い評価を得たのではないでしょうか。

アカデミー賞作品賞は獲れなかった…

映画『ドライブ・マイ・カー』は作品賞、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞の4部門にノミネートされましたが。

アカデミー賞は2022年時点で世界に9500人いるアカデミー会員の投票できまります。

アカデミー会員は著名や監督や俳優、制作スタッフで構成されていますが、近年は非白人会員も増えているのもポイント。『パラサイト 半地下の家族』が受賞できたのは非白人会員が増えたからだともいわれています。これは『ドライブ・マイ。カー』の受賞にとって追い風でした。

さらにハリウッドの思想的な流行も大事です。(近年は、ポリコレやNo社会分断!が主流)

作品として優れていることはもちろん、ハリウッドの政治色に近いものが選ばれます(エンタメ性が強くて面白い作品が選ばれるわけではありません)。

ここ数年の作品賞受賞映画は『ムーンライト』(2016)『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)『グリーン・ブック』(2018)『パラサイト半地下の家族』(2019)『ノマドランド』(2020)。

いずれの作品も差別問題や社会格差・分断が大きなテーマになっていますね。(『シェイプ・オブ・ウォーター』もある意味種族間の分断だといえますし)。

『ドライブ・マイ・カー』はイ・ユナ演じる韓国人唖者の役者であったり、舞台劇で英語・日本語・手話など言語の壁を越えて演じるコンセプトがあります。

これによって多様性や差別問題、社会分断といった問題提起に対して、演技で交流するという1つの明確な答えを提示しているのです。この点は強いですね。

映画制作者たちに刺さりやすい演技の葛藤が大きなテーマになっているので、高い評価を得やすいと予想できました。

パワー・オブ・ザ・ドッグ』もLGBTQをテーマにしている近年注目のクィア映画なので票を集めやすいでしょう。(そして素晴らしいストーリーと演技の映画でした)

『ドライブ・マイ・カー』の受賞を期待してましたが結果は、作品賞はろう者の家族を持つ少女を描いた『コーダ あいのうた』に譲る形に。

その他の作品賞ノミネート作で比較すると、社会の分断を強烈に風刺したコメディ『ドント・ルック・アップ』や、スピルバーグ監督のミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』よりは、問題提起だけでなく答えを映像で提示した『ドライブ・マイ・カー』の方が、作品賞として選ばれやすいタイプだと思いました。

『コーダ あいのうた』よりアート的な面では『ドライブ・マイ・カー』の方が良かったと個人的には思いますが、コーダも素晴らしかったので仕方ないですね。

結果は国際長編映画賞のみでしたね。主要部門もとってほしかったです…。

最後のまとめ

映画『ドライブ・マイ・カー』はエンタメ性というより、視聴者自身がメッセージ性を能動的に取りにいく必要がある、好みが分かれるタイプではあります。

ただ演出・セリフ・ストーリーが相まってミラクルなシーンが多くあり、完成度は抜群

CineMag
堕落したと言われる近年の邦画界に一石を投じる作品ではあるので、ぜひアカデミー賞作品賞を受賞して欲しいです!!

ここまで読んでいただきありがとうございます。『ドライブ・マイ・カー』レビュー終わり!

おまけ:ドライブ・マイ・カーをYoutubeで解説