Netflix映画『安全の対価』(Security)は、イタリアの街と人々の罪の コントラストが美しいサスペンスヒューマンドラマです。
記事では、本作のネタバレあらすじ解説、感想・評価、抽象的なメッセージを深掘り考察しています。
Netflix映画『安全の対価』作品情報
制作国・公開:イタリア・2021年 Netflix
監督:ピーター・チェルソム
脚本:ティンカー・リン ジー
主演:マルコ・ダモーレ/ロベルト役
主演:マヤ・サンサ/クラウディア役
出演:ファブリッツィオ・ヴェンティヴォリオ/ピラティ役
安全の対価 感想・評価83点!
評価は83点。
どんでん返しのサスペンスを期待すると、ピラティが犯人だった結末に肩透かしを喰らうかもしれませんね。
ただ『安全の対価』は映画『キャラクター』や『セブン』のようなどんでん返し系ではなく、人々の罪を美しい街と対比させて描いたコンセプトの優れた作品だと思います。
犯人のピラティだけでなく、街の人々は小さな罪を背負って生きています。
主人公ロベルトは不倫をしてますし、不倫相手の息子・ダリオはピラティ邸で怪しいバイトをしていますし、妻・クラウディアは選挙のために 隠蔽工作をしてしまいます。警察など街の人々も、権力者のピラティを擁護しようとします。
どちらかというとCrime(犯罪)というより、Sin(道徳的な罪)ですね。
そして、それを全部監視しているのがロベルトです。小さな罪が日々、彼のもとに集約されていきます。しかし今回の件でついに彼の中の倫理観が悲鳴を上げ、サイレンを鳴らして各家庭のモニターにピラティの犯罪と、ワルテルが撃たれるシーンを流すという衝撃の方法を選択しました。
人々を正そうとし、さらに自分の罪を浄化しようとしたのでしょう。
みんなが映像を見て、自分が今まで見過ごしてきた“罪”を感じ、悲嘆に暮れるラストは抽象的であり強烈なメッセージ性をともなった秀逸な結末だったと思いました。
社会の腐敗した構造にすがっている住民たちこそ、暴行事件の真の犯人だと伝えているのです。
本作の映像については、 コントラスト強めで、カラフルなイタリアの街並みやビーチの美しい景観が堪能できました。
ビーチもあって遠くには山脈も見えるフォルテ・デイ・マルミはとても素敵な場所ですね。
正義の代償/安全の対価 徹底考察!
映画『安全の対価』は、登場キャラ全員が不幸になって終わります。
主人公ロベルトは職を失うでしょう。恋人エレナの家庭も息子・ダリオが事件に関わっていたことで崩壊するかもしれません。妻・クラウディアの市長選も無理でしょう。娘・アンジェラも同級生・マリアの父ワルテルのショッキングな死を見てしまいますし、罪のないワルテルを陥れたキッカケを幼少期の自分が作ってしまったことに悩むと思います。
権力者・ピラティの悪事を見て見ぬふりをして、何も言い返せないワルテルのせいにしていれば、みんなが不幸になることはなかったわけです。
それでもロベルトは正しさを貫き、ピラティの犯行の映像を流布します。
見かけ倒しだったこれまでの安全の対価を払ったともいえるでしょう。
ハイエナの意味 何のメタファー?
ロベルトは自分の寝室にハイエナの絵を飾っていましたね。 不眠症の幻覚でハイエナがロベルトの腹に乗っかるシーンがあったので、かなり重要な意味を持っていると思われます。
ハイエナはライオンなどと違い、獲物を長い距離追い回して捉える動物です。また屍肉をあさったりもします。
街の裕福な顧客たちの警備を一手に引き受けていたロベルトは、彼らの悪事を今まで見て見ぬふりをすることもあったでしょう。そのツケ=安全の対価が、ジワジワと自分に降りかかることを、ジワジワ獲物を狙うハイエナに例えていたのではないでしょうか。
屍肉については、ピラティが自分の病気について「人の体を屍肉のように感じてとても触れられない」と表現していました。もしかすると人々から搾取を続けることは屍肉をあさるようだとの意味が込められているのかもしれません。
ロベルトは、もう少しでピラティと同じ人種になりそうでした。それがハイエナに追われる恐怖のメタファーで表現されたのだと思います。
ストーリーの細かい点考察
マリアがなぜ、ピラティが犯人だと言わなかったのか気になりますね。権力者のピラティから脅されていた可能性が1番高いと思います。さらに、 オキシコドンという薬を飲まされていたせいで、意識が混濁していたのかもしれません。
ワルテルについてですが、ピラティにころっと騙されるところを見ると、すぐに人を信用してしまう人物なのでしょう。その人柄が仇となって、アンジェラの件も立ち小便をしていただけと上手く弁解できず、仕事はなくなり落ちぶれてダメ人間になってしまったのです。
何も言えない弱者をみんな悪者にして社会の均衡が保たれている構造は、とても考えさせられますね。
リアルな社会問題を耽美に表現
美しい街フォルテ・デイ・マルミの登場人物たちはいわば、現状を変えるための犠牲になったとも捉えられるでしょう。
ロベルトは正しさを掲げ、悪を糾弾したわけですが相手が権力者であるがゆえに“共倒れ”になります。
現実社会でも何か改革をしようとすれば、先導者への批判も強いですし、人々にしわ寄せがくることも多いでしょう。
ただ、“共倒れ”が美しい浜辺の街でおこなわれたことで、社会的な大事件が起こっても街の美しさはそのまま!というような耽美的な カタルシスに昇華されていたのが映画『安全の対価』の1番すばらしかったポイントだと思います。
人間社会の根幹にある根深い問題をモチーフにしつつも社会派っぽさは薄く、街の美しさと人々の苦悩の コントラストに心を動かされる抽象的なつくりになっているのです。
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