映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』を見返してみた。
極彩色の映像が際立ち、沢尻エリカや二階堂ふみの胸モロ見えの過激なラブシーンなどもあり。挑戦的で個人的には好きな映画。
ただ、“視聴者の期待に応えていない”ところも多くて、作品として評価はできるけど好き嫌いがはっきり分かれると感じた。
この記事では、太宰の小説『人間失格』『斜陽』『ヴィヨンの妻』からみた3人の女性のキャラクター像やキャスト考察、小栗旬の太宰の是非を考えてみる。
さらに、それらの視点から映画が伝えたいことなどをネタバレありで解説。
太宰の作品を読んでないと理解できないけど、太宰らしさはない不思議な映画。蜷川実花監督の極彩色の映像表現は素晴らしい!
太宰の原作小説から考察する『人間失格 太宰治と3人の女たち』
原作を読んでないと共感がむつかしい
いろんなサイトのレビューを読むと、『人間失格 太宰治と3人の女たち』はかなり否定的な感想が多い。
主に、
- 「小栗旬演じる太宰の葛藤が見られない」」
- 「3人の女性の言動が唐突」
というもの。
1と2についてだが、これは作中でも出てきた太宰の小説「ヴィヨンの妻」「斜陽」「人間失格」を読んでいないと、わかりにくいだろう。
小説を読んでなければ「太宰クズ…」で感想が終わってしまうのでは?
映画の美知子、静子、富栄、太宰のキャラクターは、これらの小説が大いに反映されているので、読んでなければ置いてけぼりを喰らうだろう。
ポイント
小栗旬、宮沢りえ、沢尻エリカ、二階堂ふみといった豪華キャストでライトに客寄せしてる割には、原作読んでないと理解できないチグハグな映画
(「ヴィヨンの妻」「斜陽」「人間失格」を読んでない方は、読んでから映画を見るとまた解釈が変わって楽しめると思うよ。)
ヴィヨンの妻と宮沢りえ
映画に登場する女性たちは、原作小説にはある程度忠実だったと思う(忠実だけがすべてではないが)。
特に宮沢りえ演じた妻・美知子は、小説のキャラがしっかり反映されていた。
小説「ヴィヨンの妻」は太宰の妻・美知子がモデルだと言われ、夫婦の恋愛関係の終焉を描いている(解釈は色々だけどね)。夫婦が仮面を被り、絶望を隠して必死に生きる様子が描かれているのだ。
映画での宮沢りえも、夫の不倫に見てみぬフリをして、ある種のたくましさを持っているのがしっかり見て取れた。
人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ。
小説 ヴィヨンの妻|太宰治著より
人としての倫理観より生きていくことに価値をおく上記のセリフを、しっかり体現していて見応えがあった。
宮沢りえの美知子
ヴィヨンの妻+太宰文学への敬意
斜陽と沢尻エリカ
「斜陽」は、映画内でも言われたとおり静子(沢尻エリカが演じた)の日記がもとになった小説で、貴族の末裔女性の家族の不幸や新たな決意を描いている。
私は確信したい。人間は恋と革命のために生れて来たのだ。
私には、是非とも、戦いとらなければならぬものがあった。新しい論理。いいえ、そう言っても偽善めく。恋。それだけだ。
小説 斜陽|太宰治著より
沢尻エリカの静子は、小説のセリフやその経緯には忠実なものの、斜陽の主人公(かず子)のような“世間知らずな高潔さ”は感じられず、ちょっと物足りなかった。
人間失格
太宰の超有名小説「人間失格」は、人の生き方に悩む主人公が建前で“道化”を演じる絶望的な半生を描いていて、モデルは太宰自身と言われ、書き上げて1ヶ月後に愛人・山崎富栄(演:二階堂ふみ)と入水自殺している。
小栗旬の太宰は、人間失格の主人公・葉蔵が道化を演じているさまをある程度参考にしている感じだが、小説内に富栄と重なる人物はいない。富栄については史実を参考にしたのだろう。
ネタバレ解説/小栗旬は太宰治を表現できていたか
では小栗旬の太宰はよかったのか?
結論から言うと、小栗旬は“道化”をしっかり演じていて印象に残る演技を見せてくれたが、太宰っぽさは皆無だった。
恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。
小説 人間失格|太宰治著より
この名台詞のような、恥や複雑怪奇さは感じられなかったのだ。
僕は実際の太宰に会ったことがないので詳細はわからないけど、作品を読む限りやっぱり太宰本人は自分で自分を制御できないような複雑さを抱えていると思う。
簡単にいうと、高潔と堕落の異なる二つのパーソナリティが心の中で絶えず戦っている感じ。
一方、小栗旬の解釈では芸術と堕落が共存しているような印象だった。噛み砕くと文学のために堕ちていくという印象。
そもそも文学と堕落は相性が悪くないし、割と自分の中でバランスが取れている太宰!という感じに映った。
太宰の読者が考える太宰像は“表と裏のバランスが取れない人物”なのに対し、小栗太宰は“文学のために堕落するステレオタイプ”という感じになったのではないか。
弁護すると、史実をもとにしたフィクションなので蜷川監督と小栗の間で新しい太宰を創り上げるコンセプトがあったのかもしれないし、太宰の人格を複雑にして“3人の女”の葛藤が弱く映ってしまうのを避けたのかもしれない。
ちなみに小栗旬の演技が下手だったということでなく、彼は2021年公開の映画『キャラクター』,ハリウッド大作『ゴジラ対コング』(2021)で素晴らしい演技を見せています。
ポイント
小栗旬の太宰が物足りないと感じたのは、異なる二つの性質の葛藤が欠けていたから。
他のキャストでは、編集者役の成田凌は良かったです。
映画『ホムンクルス』など話題作に出演し、アニメ映画『竜とそばかすの姫』では声優を務めるなど活動の幅が広いですねー。
映画人間失格ネタバレ解説!蜷川監督の極彩色映像美はミスマッチか?
ミスマッチだけどそれでもいい
先に申し上げたとおり、本作は太宰作品を読んでいないと登場人物の言動が理解できない。
しかし太宰作品に親しみがある人にとって映画の評価が高くなるかといえばそうでもなく、蜷川監督の映像美が「太宰っぽくねえ」と感じられてしまうレビューも多かった。
考えてみると太宰文学は色の表現がそれほど多くなく、「御伽草子」の浦島太郎のように色を極めて芸術的に描いた作品もあるが、“極彩色”というよりは“淡い”印象だ。
蜷川監督の映像美は太宰文学と考えるとミスマッチかもしれないが、別にフィクションなので、そこは重要ではないと思う。
構図や色使いは美しかったし、見応えがあった。
次作の実写映画『ホリック xxxHOLiC』(2022)と比較しても、本作の方が映像美とストーリーのバランスが優れていたように思う。
小説が得意なことを映像で表現
あと『人間失格 太宰治と3人の女たち』の映像で素晴らしかったと思うのは、小説が得意な表現を取り入れていたこと。
小説は、情景描写を重ねて人の心を表現できるのが強みだ。短い文章内でたくさんの情景を詰め込める。つまり、人物の心をさまざまな風景で創造できる。(映像ではワンシーンでたくさんの風景が出てくるのは見づらいのでやりにくい)。
それを蜷川監督は映画でやっていたように感じる。
特に前半の、静子のモノローグと、トンネルや梅の花の映像を重ねるシーンとか、小説っぽい表現だなあと感激した。蜷川監督が初めてこれをやったわけではないと思うけど、映像を文学的に表現することに成功していて、そこは評価できると思う。
好き嫌い分かれるかもしれないが、写真家ということもあって構図も素晴らしいし、才能豊かな監督だという印象。
『人間失格 太宰治と3人の女たち』最後の結論
映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』は、太宰の小説を読んだことがないと登場人物に共感できず、小説に慣れ親しんだ人は小栗旬の太宰や映像美に違和感を感じるという一般的な評価がされにくい作品になった。
ただそれでも映画として評価できる部分も多いし、新しい解釈に価値があると思う。蜷川監督の次回作にも期待したい。