Netflix独占配信の『モンスター:その瞳の奥に』は、一見地味で面白みに欠ける法廷モノだが、視聴者が“陪審員”のような視点で社会問題について考えることができる意義のある作品だった。
ウォルター・ディーン・マイヤーズの小説『Monster』(2000)が原作になっている。
ストーリーのあらすじネタバレ解説の後に、ラストの2つの解釈を徹底考察。
さらに、その裏にあるシロクロつけられない問題について深掘りしていく!
映画『モンスター:その瞳の奥に』基本情報
『モンスター:その瞳の奥に』スタッフとキャスト
監督:アンソニー・マンドラー
脚本:ラダ・ブランク
原作:ウォルター・ディーン・マイヤーズ
撮影:デビッド・デブリン
主演:ケルビン・ハリソン・Jr./スティーブ役
出演:ジェニファー・イーリー/キャサリン役
出演:エイサップ・ロッキー/キング役
出演:ジョン・デヴィッド・ワシントン/ボボ役
映画『モンスター:その瞳の奥に』で描かれた2つの真実/ラスト考察
見る人によってハッキリ2つの解釈ができるのが、映画『モンスター:その瞳の奥に』のラストの特徴。
- スティーブがキングたちに「偵察をやれ」と言われたのは事実
- スティーブが店を出た後に、キングたちの方を向いて“うなずいた”のも事実
ただそれが「中に人がいるぜ!」のサインなのか、「お前らに協力はしない、あばよ」という意味なのかハッキリしないのがミソ。
ここで考えて欲しいのが作中でも出てきた『羅生門』。
スティーブが通う高校の映画クラブのサウィッキ先生が、黒澤明の名作『羅生門』(殺人についてみんな別々の発言をする内容)を引き合いに出していたことでも、真実は1つじゃないとのテーマがはっきり突きつけられているとわかるだろう。
つまり、スティーブが有罪か無罪か、瞳の奥に映った真実は視聴者それぞれなのだ。
ただ、ここで大きな疑問が残る。
スティーブが「中に人がいる」のサインを送って強盗に協力したのが事実だとして、それを責められるだろうか?
コミュニティの結びつきが強い地域で、スティーブのような撮影オタクがキングのような地域のギャングに歯向かおうものなら、会う度にいじめられて、何年間も最悪な生活を送るハメになるのは想像にむつかしくない。
かといって、 陪審員の前で「脅された」とバカ正直に証言したところで、白か黒かでいうと黒になって有罪確定だ。
スティーブは、キングたちが強盗するとわかっていても、まさか殺人に発展するとは思っていなかっただろう。
そう、スティーブが“協力したことを黙っていた”という判断が正しいか間違っているかの問いに、誰も答えられないのだ。
スティーブがモノクロ写真を好んで撮影していたのも演出になっていて、裁判でシロクロ問えない問題もある!という主張になっているのだと思う。
黒人が有罪を受ける過程をフラットに描いた意義ある作品
映画『モンスター:その瞳の奥に』は、裁判のシーンとスティーブの平和日常のシーン、キングとの会話を行ったり来たりする構成。登場人物に感情移入させるという意図は薄かったように感じた。
それよりも黒人青年が裁判で有罪にされる過程をフラットに描いて、視聴者に 陪審員の役割をさせたのがこの映画だと考える。
簡単にいうと視聴者が登場人物になり切るのではなく、ひたすら傍観して答えを出す作品なのだ。
名作『12人の怒れる男』のような 推定無罪の正義がテーマではなく、リチャード・ギアとエドワード・ノートン主演の『真実の行方』のようなサスペンスでもない。
視聴者に自分の意見を持つよう求めているのだ。
映画としての面白さよりその視点を重要視したことは、大いに評価できると思う。
このフラットな視点があり、スティーブの行動をどう判断するかに公平性を与えている面もある。
黒人社会だって真面目な人もいればギャングもいるし、犯罪への巻き込まれ方や罪の重さは千差万別なのだ。
スティーブのような青年と、キングのようなマフィアを“同じ黒人”といっしょくたに判断してしまうことで、誰かの人生が不意になってしまう可能性もある。
そんな強い問題提起がうかがえた。
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