『街とその不確かな壁』ネタバレ考察レビュー!村上春樹の新刊あらすじ感想評価,結末や意味解説

  • 2023年4月29日

村上春樹の新刊『街とその不確かな壁』を読み終わりました!芸術的な描写で深層心理の地図を描いていくような読み応え抜群の小説でした。

『街とその不確かな壁』あらすじ(ネタバレなし)

ネタバレなしの感想レビュー

読了後のぶっちゃけ感想・評価(ネタバレあり)

ラスト結末の意味・作品の構造をネタバレありで考察

これらの情報を知りたい人向けにわかりやすく解説していきます!

(前半はネタバレなし、後半はネタバレありです。お好きな項目から読んでください)

これから読む人の参考になるよう、読み終えた方は『街とその不確かな壁』について口コミ・アンケートも投票お願いします↓

村上春樹の小説『街とその不確かな壁』おもしろかった!?(投票どうぞ)

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村上春樹『街とその不確かな壁』(2023)作品情報

発売:2023/04/13
著者:村上春樹
ページ数:672P
ジャンル:ファンタジー・ヒューマンドラマ

巻末の村上春樹本人による(あとがき)によると、1980年に雑誌『文學界』に掲載された『街と、その不確かな壁』は満足いく出来ではなく、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985)にモチーフを継承させたがそれでも終わりとは思えず、読点を抜いて『街とその不確かな壁』として新たに書き下ろしたようです。(執筆はコロナ禍)

個人的には映画『ドライブ・マイ・カー』のもとになった短編小説「女のいない男たち」の要素も多分に感じました。

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映画『ドライブ・マイ・カー』

村上春樹 新刊『街とその不確かな壁』(2023)あらすじ

17歳と16歳の男女である「ぼく」と「きみ」。2人は高校の文芸コンクールで知り合い、文通で心を通わせるようになった。

月に2回ほど公園で会っては、取りとめの無い話を交換しあう日々が続く。「ぼく」と「きみ」お互いの存在なしの人生は考えられないほどに会話に熱中していた。

やがて「きみ」は心のこわばりについて話し、「ここにいる私は影で、本物の私は煉瓦づくりの高い壁の中にある街にいて、図書館で働いている」と告白した。

それ以来「ぼく」は「きみ」の話しを聞きながら、不思議な壁に囲まれた街について想像を張り巡らせるようになる。

そしてある日、私はふとしたキッカケで壁の中の街への入ることを許され、図書館で古い夢を読む夢読みの仕事を任されることになった。

私の影は門番(門衛)に引きはがされて、日に日に弱っていった。私はある決断を迫られる。

ネタバレなしの感想レビュー

シネマグ
現実と不思議な街を行き来する独自の世界観で陶酔(とうすい)させてくれる素晴らしい作品です。

いつものように過去に女性関係でトラウマを抱えている孤独な主人公を素晴らしい隠喩を添えた文章で語り尽くす内容ですが、読んでいると、読んでいる私の中に新しい街が浮かび上がってくるかのよう

本作で登場する街が読み手のトラウマを直接解消してくれるわけではありません。しかし読みながら自分の中に煉瓦造りの不確かな壁の街を作ることで、生きることについて新たな概念・知恵・智慧を確かに得られた感覚が残ります

読み終わって気持ちがフワフワしており超傑作かはまだ断言できませんが、村上春樹の作品に触れたことがある人はぜひ読んでほしい。

特に瞑想などに興味がある人にはドストライクの内容です。

『街とその不確かな壁』ネタバレ感想・評価

シネマグ
発売日にまる1日かけて一気読みしました。没頭して1日があっという間!

おもしろい! しかし一方で、おもしろいとかつまらないとかの言葉でくくってはいけない深淵さがあります。

心地よさを感じつつも、背筋が凍りつくような瞬間もしばしば。

現実と虚構をいったり来たりするトリッキーな構成で、読んでいる私自身が次第に現実のほうから引き剥がされて一種の瞑想状態におちいりました。

メタファーでメタファーを塗り重ねたような寸分違わぬ村上春樹ワールドです。

『街とその不確かな壁』には、決して解明することのできない人間の深層心理の地図を書くようなおもしろさがあります。

10代の頃に一緒に空想の街をつくりあげた「きみ」が突然いなくなり、文字通りの「喪失」を経験してしまった主人公の「ぼく」。

ぼくは高い壁がそびえ立つ街では「私」となり、いなくなったはずの「君」のサポートを受けながら図書館で古い夢を読む仕事につきます。

そして「私」はこの街の世界に残り、引き剥がされた自分の影を南の溜まり(川の水が吸い込まれる場所)から外の世界へ解放したと思ったら、40代半ばの自分という現実に戻り、福島県のど田舎で幽霊の図書館長からその仕事を引き継ぐのです。

そしてサヴァン症候群のイエロー・サブマリンの少年を虚構の街へ引き込み、実はずっと街に残っていた本来の自分を現実の影の自分と一体化させるという完璧なラスト。

このストーリーで、人間の精神の鎮魂、還元による癒しのようなものを感じました。心の傷と喪失の地図を描いてたらいつの間にか癒しになっていたという爽快感があります。

いっぽうで、システム的な描写による一種の冷たさのようなものも感じられました。

人間の非常に根本的な衝動を描いてはいるけれど、ある程度距離を取って熱くなりすぎないところに村上春樹さんらしさというか、芸術性というか、本作の醍醐味があるのでしょう。

(私は村上春樹の熱心なファンではなくハルキストの方に怒られてしまうかもしれませんが)次の項目では自分なりに感じたことの考察や解説をしていきます。

『街とその不確かな壁』考察・解説(ネタバレ)

まず断っておくと村上春樹の小説に精神分析学やら哲学の用語で答えを断定してしまうことは、小説を矮小化してしまう可能性もはらんでいます。

以下の考察は小説『街とその不確かな壁』を理解しやすくなる手助けとして読んでいただければ幸いです。

答えを強要するものではありません。

フロイトの無意識と超自我

小説『街とその不確かな壁』に出てくる虚構世界=街は、高い壁と厳しい門衛(監視人)に囲まれているので、そのまま精神分析学の父・フロイトが提唱した無意識と超自我のメタファーのようです。

街=無意識、出入りを厳しく監視する門衛=超自我というイメージにピッタリハマります。

無意識とは潜在意識とか深層心理とか様々な言葉で言い換えられますが、要は自分の心の中で自分が感知できない領域です。

超自我は夢などが心に過度な負担を及ぼさないように検閲する役割、心の動きを監視する役割を担っています。

フロイトの無意識と超自我のイラスト解説図

©︎https://ja.wikipedia.org/wiki/自我

作中でもイエロー・サブマリンの少年の兄の医大生が「意識は氷山の一角でその奥には無意識があって…」的なことを言っているので、村上春樹さんがフロイトの理論をそのまま描写しようとは考えていないまでも、知識はありつつ書いているのでしょう(ちなみに図のイドは欲望のこと(エスと同じ)。前意識とはギリギリ思い出せる領域のこと)。

ただ一般的にいわれる無意識の世界と比べると、不確かな壁の街はかなり住民の行動がルーティン化されて秩序だっています。

単純に無意識=不確かな壁の街なのではなく、街は無意識の中のひと部屋・ひとつの空間と考えたほうがしっくりきますね。

超自我という意識の番人が作り上げた人間味のないある種の理想的な世界が、不確かな壁の街なのではないでしょうか。

心の平穏はあっても、そこに人間らしい生活はないのです。

単角獣の役割

街に出てくる単角獣は、人間が持つ動物らしさ=欲望のメタファーと考えられます。

単角獣は超自我=門衛が管理する街に入ってそこで食事(金雀枝エニシダの葉っぱ)を食べ、夜になると外に出されます。

冬になってバタバタ死ぬ単角獣は門衛によって焼かれます。

心の中の欲望が適切に管理されることを単角獣で表現しているようです。

ユングの集合的無意識

ただ、本作に出てくる街には主人公以外の人格、「君」なども存在しているので、主人公の深層心理である一方で、単なる無意識ではなくユングがいう集合的無意識のようでもあります。

集合的無意識とは人間は個人によらず無意識下にみんな似たイメージを持っているという考え方です。

この考え方を念頭におけば、なぜ主人公が“街”という自分の深層心理に潜りながら、現実にいる他の人格(「きみ」や「イエロー・サブマリンの少年」)も街に存在するのか納得できるような気がします。

ファンタジー的に考えれば集合的無意識は意識のプラットフォームみたいになっており、みんなそこへ行き着くという考え方があるでしょう。

ちょっと違う解釈をすれば、主人公が他人の人格を集合的無意識のなかで見つめる場合と、他人自身が無意識下で自分の内面を見つめるときに、実質的に両者が見つめているものに違いはないと言い換えることもできます。(ちょっとややこしいですが。)

「私」や「きみ」、「イエロー・サブマリンの少年」が現実に存在すると仮定して、集合的無意識下ではそれぞれの人格は同じような役割に還元されるということです。

だから「イエロー・サブマリンの少年」は「私とあなたは同じ存在だ」と言ってラストで一体化できたのでしょう。

現実の「私」の心の中の出来事なのか、「イエロー・サブマリンの少年」の心の中の出来事なのかはあまり重要ではないレベルです。

ここまでは心理学や精神分析の一般的な知識から構造を解釈してみましたが、もちろん村上春樹の『街とその不確かな壁』の全貌はまだ語り尽くせません!

もっと複雑な側面を持っています。

私、子易の幽霊、イエロー・サブマリンの少年

子易の幽霊の意味

『街とその不確かな壁』を良い意味で複雑しているのが図書館の館長・子易(こやす)の幽霊の存在です。

主人公・私に図書館の館長の座をゆずったのが子易です。

子易は少し前に心臓の不具合で急逝した幽霊でした。彼は30年前に最愛の子供と妻を失った悲しみを抱えた人物で、主人公が図書館長を引き継いでからもしばしば姿をあらわしてサポートしてくれます。

子易は“虚構の街”の人々と同じく影のない存在です。

ということは不確かな壁の中の虚構の街は、単に深層心理・無意識をあらわしているだけでなく、魂の待合室的な意味を持っているとも考えられます。

結局、街はなんなのかこんがらがりますね。

加えて集合的無意識と魂の待合室の両方の機能を果たしていると足し算で考えても、幽霊である子易が現実で具現化していない時はどこにいるのか?という疑問も湧きます。

街には門衛が監視してるので、一度入ったら外に出られないルールがあります。子易が存在するためには現実と虚構の街 以外の第3の層が必要になるでしょう。

クリストファー・ノーランの映画『インセプション』みたいに、無意識が何層も連なっているのかもしれません。

主人公が現実だと思っている福島の図書館で働くことすら心の中の虚構と考えることもできます。

3人とも同じ人間

完全にとはいわないまでも、なるべくスッキリする説明として「私」、「子易」、「イエロー・サブマリンの少年」は1人の人間が持つ3つの人格だと考えることもできます。(人格というと多重人格みたいなイメージですが、ここでは性質みたいなものと考えたほうが良いでしょう)。

子易は主人公・私に図書館の館長の座を継承します。

私はイエロー・サブマリンの少年に街の図書館で夢読みの仕事を継承します。

私と一体化したイエロー・サブマリンの少年は、深い意識の中で蔵書の図書館を私に提供し読ませてくれます。

継承の連鎖。ちょうどマトリョーシカのような入れ子構造です。

意識はいくつものマトリョーシカ(異なる層)の間を移動しながら分身・影として分断され、奥に隠れていたものが表層に戻ってくるなどして、心の欠けた部分が再び埋まるのでしょう。

複雑ですが本作にはそんなメッセージがあると思いました。

ラスト結末の意味

第一部のラストで私は街から影を逃しました。

しかし第二部では現実に私が戻ってきたことになっています。実際には本来の私でなく、影が現実の私になったということでしょう。

第三部のラストはイエロー・サブマリンの少年と一体化した私が、深い意識の中でロウソクの炎を吹き消して街の外へ出るという結末です。

現実で影と本来の私(どちらが重要などはない)が再び出会うことを示唆しています。

きっと現実で影と一体化した主人公は、心の焼け焦げた部分を回復させてコーヒーショップの女性を愛することができるようになるのではないでしょうか。

コーヒーショップの女性も、虚構の街へ行って主人公と同じような過程をたどればセックスが苦痛という症状を克服できるかもしれません。

時間はかかるし困難で不確かだけど心の傷を癒す方法はある。そんな希望が感じられるラスト結末でした。

最後のまとめ

村上春樹の新作小説『街とその不確かな壁』は、抽象的で意味不明な村上春樹ワールドが存分に堪能できる一方で、だれもが持つ心の普遍的な機能を美しいファンタジー要素も交えながら描いた素晴らしい作品でした。

現実と虚構の二項対立をくつがえすようなストーリーは普遍的でありながら個性的。人の生き方を根幹を見つめながら決して熱くはならないハードボイルドさも大きな魅力です。

感想を語る犬
本作を読んで村上春樹作品の良さが改めて身に染みました。