新海誠監督最新作『すずめの戸締まり』ネタバレありで深掘り考察!を知りたい人のための記事。原作小説と映画の内容は変わらないので両方をまとめての考察レビューです。
白い猫・ダイジンの正体、2匹の蝶の意味、サダイジンと祖父・羊朗の関係、環の背後にサダイジンが登場したワケ
ミミズや要石のモチーフ、2ページ目では新海誠監督の過去作との関連などを詳しく解説しています。
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映画『すずめの戸締まり』。女子高生が大災害を防ぐため子供用イスと全国各地を旅するロードムービーです!CineMagうん…。ぶっちゃけ〇〇でした。大手サイトの代わりに批判覚悟で完全にそんたくなしのレビューをします。[…]
『すずめの戸締まり』考察(ネタバレ)
白い猫・ダイジンの正体!
©︎「すずめの戸締まり」製作委員会(2022)
『すずめの戸締まり』をとらえるうえで1番重要だといっても過言でないのが猫のダイジンは何を表しているか?正体は何か?でしょう。
ダイジンはミミズを抑える要石であり、白い猫です。
ダイジンの正体は劇中で明言されることはなく、「神のようなもの」とされていましたが、きっと元は人間なのでしょう。
要石に変えられた草太のように、ダイジンももとは人間だったのが人柱となり要石に変えられてしまったのだと思います。
要石になって何年もたち人間だった頃のことは忘れていましたが、すずめに抱きかかえられて人とつながるぬくもりを再びほっしたのです。
だから最初に要石の役割を放棄して逃げだのだと思います。元から神ならもっとしっかり役割をまっとうするはずです。
ダイジンの心理的には「何年もの孤独からやっと解放されたから、もう要石に戻りたくない」という気持ちが勝ったのだと思います。
しかしミミズの発生を防ぐという自分の役割を再認識し、すずめの手伝いをするようになったのでしょう。
映画では子供の声だったことから、ダイジンは子供が人柱として要石にされたなれ果てなのかもしれません。
本作では草太は人柱として犠牲になることはありませんでした。
しかしその裏にはダイジンとサダイジンの犠牲があるのです。
草太に両親がいないことから、ダイジンの正体は父か母?とも考えましたが、ダイジンがいつ要石になったかわかりませんし、何より草太になついている様子がないので違うのでしょう。
新海誠監督は自己犠牲へのアンチテーゼを表現しつつ、誰かのために犠牲になっている何かへの敬意も物語にしっかり込めたのだと感じました。
元ネタは『魔女の宅急便』のジジっぽいですが、ダイジンのキャラにはいくつもの重要な意味が込められています。
2匹の蝶の意味,ループ説?
すずめが常世で4歳の自分自身と出会ったラストで、そばに2匹の蝶がピッタリくっついています。
2匹の蝶は冒頭で夢から目覚めたすずめのそばにもいました。伏線になってたんですね。
2匹の蝶が意味するものはいくつか考えられます。
まず、ミミズを封じ込めるために再び犠牲になった猫のダイジンとサダイジンです。体は要石として氷ついてしまいましたが、魂はすずめの周りをさまよっているのかもしれません。
2匹にとって芹澤の車ですずめと旅を続けたことは忘れられない思い出でしょう。
蝶について他には、すずめの母・つばめという考察もできます。蝶は常世に紛れ込んでいた子供用椅子へ導いてくれましたから、椅子を作った母の可能性もあるでしょう。
ただ2匹なので、もう1匹はだれ?という疑問が当然残ります。もう1匹はすずめの父かもしれません。
小説ではすずめは幼い頃から母と2人暮らしだったとあり、父親の生死は不明。もしかしたらすでにこの世におらず、すずめを見守っているのかも。
あとは2匹の蝶は、4歳のすずめと現在のすずめ、過去と現在、被災者と遺族など抽象的な二項対立を表現すると考えても面白いと思います。
喪失を忘れ去るのではなく、喪失との共存をあらわしているのです。
蝶についてはあえて深読みすればループ説も考えられます。
すずめは4歳の自分と常世で出会います。
常世はすべての時間と接続できる場所です。
夢とも接続しているかもしれません。
すずめの意識の一部が蝶となって、夢を通じて冒頭のすずめのベッドまで冒険を告げにやってきた。
考えすぎ感もありますが個人的にはこういうプチループ設定は好きです。
蝶が常世と現実を超越してすずめのそばにいるから、すずめは閉じ師でないにもかかわらず戸締りできるのかも。
確定はできないですがいろんな解釈ができますね。
すべての時間が集う常世で起こした奇跡は、どの時代のすずめにも伝わるでしょう。
おおきな視点でみれば、すずめは今日を精いっぱい生きることで、幼い頃の自分だけでなく昨日の自分も救ったことになるのです。
原作小説では人間の認識の変容について触れられている箇所があります。
現在の認識の仕方によって過去を別のかたちでとらえ、傷を癒せる。
そんな普遍的な想いが感じられました。
2つ目の要石・サダイジンと羊朗の関係
1つ目の要石は九州にあってすずめに引き抜かれた白い猫・ダイジンです。
2つ目が東京にあった黒猫・サダイジン。なぜ抜けたのか気になりますよね?
なぜ抜けたかについては映画にも小説にも具体的な描写がなかったのですが、おそらく1つ目が抜けてミミズの勢いが強まり、2つ目も抜けてしまったのでしょう。
サダイジンについては草太の祖父・羊朗が「おひさしゅうございます」的なことを言ってたので、彼が数十年前にサダイジンを要石としてその地にはめ込んだのだと思います。
だから、すずめから「草太さんのいない世界なんて…」と言われたときに共感して、後ろ戸や常世について教えてあげる気になったのだと思います。
羊朗はその冒険で大切な誰かを救えなかった辛い思い出があり、すずめに「自分と違う結末」たくしているようでもあります。
さまざまな想像の余白が残されているのが素晴らしいですね。
環の背後にサダイジンの意味/要石は組紐
環がすずめに「出ていけ!」と暴言をはいたとき背後にサダイジンが現れたシーンを不思議に感じた人は多いのでは。
その謎を解くために、すずめが草太の関係性からひもといていきましょう。
単なるガールミーツボーイというだけでなく、お互いにとって大きな意味があります。
2人とも両親が不在で成長した人物だからです。
- すずめは叔母の環さんに
- 草太は祖父・羊朗に育てられました。
この対比構造からみえてくるものがたくさんあります。
まず、羊朗が草太について話すやや冷たい態度や、椅子になった草太が「祖父を失望させる…」と言っていたことから孫と祖父というより師匠と弟子です。
草太と羊朗ほどでなくても、すずめと環さんにもお互いの態度以上に心の距離があったと推測できます。
すずめは環さんと被災地・東北のサービスエリアでお互いに本音をぶつけあいました。
このとき環の背後にサダイジンが現れます。
すごい唐突な登場だと感じましたが、サダイジンと羊朗が親交があったと考えると合点がいきます。
きっとサダイジンは環さんとすずめに、羊朗と草太のような関係になってほしくなかったのでしょう。
だから環さんを少しあやつって本音を言わせ、すずめとの関係を深まるように仕向けたのです。
また羊朗も草太の成長をみて、これからは肉親として絆を深めていく気持ちになれたのではないでしょうか。
要石=『君の名は。』の組紐(くみひも)なのです。
ダイジンはすずめと草太を結びつけ、サダイジンはすずめと環さん、草太と羊朗を結びつけたのでしょう。
広い視点でみると、遺族など心の傷を抱えるもの同士が手を取りあえば明日へ向かえるというポジティブなテーマが浮かびあがってきます。
ミミズのモチーフは?
日本には昔からナマズが暴れて地震が起こるという迷信がありました。
地震を抑えるための要石も実際に存在し、茨城県の鹿島神宮と千葉県の香取神宮の要石がそれぞれナマズの頭と尻尾を押さえる役割を果たしていると言い伝えられています。
『すずめの戸締まり』でもミミズを押さえる要石はすずめがいた宮崎と東京にそれぞれあり、頭と尾を押さえなければなりません。この設定は鹿島神宮と香取神宮が参考になった可能性があります。
よってナマズの伝説上の脅威を同じ生き物で置き換えたのがミミズなのでしょう。
主人公の名前が鈴芽(すずめ)なのも鳥の雀にかけているのかもしれません。鳥はミミズを食べるからです。
(初回上映特典の企画書を見ると新海誠監督はアメノウズメノミコトのウズメから取ったそうですね)
東日本大震災へのメッセージ
『君の名は。』『天気の子』に引き続き自然災害が扱われていました。
前2作でも東日本大震災からの影響は顕著でしたが、『すずめの戸締まり』では東日本大震災そのものが扱われており、新海誠監督も小説のあとがきでそう書いています。
『君の名は。』のように災害での死者が出なかった過去にハッピーエンド的に書き換えられたのではありませんが、死者たちへの鎮魂歌として、遺族へのねぎらいとしてささげられた物語だと感じました。
私は被災者でないので軽々しいことは言えませんが、『すずめの戸締まり』を見て心がフッと軽くなる人・救われる人がきっといるのではないでしょうか。
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