映画『ジョーカー』ネタバレ考察・戦慄ラスト感想!狂気の名演評価・あらすじやキャスト解説

映画『ジョーカー』(2019)。期待を軽く超える ホアキン・フェニックスのジョーカーに悪寒が走る。走り方や仕草、すべにおいて異質!

個人的にはダークナイトでヒース・レジャーが演じたジョーカーを超えたと考える。(スーサイド・スクワッドでジョーカーを演じたジャレット・レトがこの映画を見たらショック死するだろうな・・・)

映画ジョーカーは作品全体として考えても、アメコミ映画ながら芸術性抜群で、本年度の アカデミー賞も期待できる出来栄えだと感じた!( ベネチア金獅子賞獲ってるし。)→ ホアキンフェニックスが2020年度 アカデミー賞主演男優賞獲得!

この記事では、あらすじネタバレ、ジョーカーの凄さ解説、演技や見せ方を考察していく。

ホアキン・フェニックス ジョーカー徹底考察(ネタバレ)

 

結論から言うと、 ホアキン・フェニックスのジョーカー歴代最高であり、最狂だと思う。

マーティン・スコセッシ
のタクシー・ドライバーを参考にしたストーリーと役作りもガッチリハマっている。
(ちなみに、この映画をスコセッシが監督してディカプリオがジョーカーを演じることも一時検討されたらしい。)

髪型やメイク、 ホアキン・フェニックスの ガリ ガリの体づくりが相まって、芸術性が高い ヴィランになっていた!

ストーリーも込みで、とうとうアメコミ映画が芸術の域にまで達したのが『ジョーカー』といえるだろう。

ホアキンフェニックスのジョーカー

具体的に良かった点を挙げていく。

まず、 ホアキン・フェニックスはメイクしていない状態でも、血色がとても悪く、すでにスリル満点の怖さである。病気でおかしな笑い声を響かせるのだが、完全に狂気と言っていい。まだジョーカーになってないにも関わらずだ・・・

 

そして、メイクをした後は完全に狂気の向こう側に行ってしまった。もはや迫力があるなどと言う言葉では片付けられず、異質なオーラを身にまとった最狂 ヴィランと化した。

ピエロメイクで3人の男性を射殺し、公衆トイレで 太極拳のような奇妙なダンスをみせる(即興らしいねこのダンス)。ジョーカーのメイクをして廊下を歩く、背後から光が照らす何気ない瞬間に覗かせる顔の表情は、かの哲学者 ニーチェがいっていた“深淵”そのものじゃないか?我々は深淵を見つめているのか?彼は人間を超えた何かなのか?背筋が凍りつくとはこのことだ。

ニーチェが著書「 ツァラトゥストラはかく語りき」で言っていた“超人”とは、もしかするとこのジョーカーのことかもしれない・・・

単に悪に変化したのではなく、悪に羽化した。これが ホアキン・フェニックスのジョーカーに対する僕の感想である。

 

ジョーカーと バットマンの因縁も描いた

 

映画『ジョーカー』では、アーサーがジョーカーになった理由だけでなく、 バットマンとの因縁もしっかりと描けていた。

アーサーが ブルース・ウェインと異母兄弟だという嘘か本当かわからない件から始まり、なんとアーサーは幼いブルースに会い手品をみせて顔を触る。

そして、アーサーがトーマス・ウェインに、トイレでクズ扱いされ、殴られるということまで発展。

そしてラストでは、アーサーの殺しがキッカケで発展したピエロ暴動者が、逃げたトーマス・ウェインと彼の妻をブルースの前で射殺。

バットマンVSジョーカーの対立図式。そして、お互いがいなければ二人とも存在しないという、存在理由についても綺麗に描けていた。

映画『ジョーカー』どんでん返しネタバレ解説

映画『ジョーカー(Joker)』は、サスペンス映画としても秀逸な作品だった。作中で描かれた、主などんでん返しをリストアップしてみよう。

1 バットマンとジョーカーは異母兄弟かも!

 

母ペニーの言い分だと、アーサーと ブルース・ウェイン( バットマン)は異母兄弟ということになる。ストーリー上では、ペニーの証言が間違っている感じだったが、真相はわからない。

2 ジョーカーの母ペニーは元精神病患者

母のペニーが30年前、 アーカム・ アサイラム(精神病院)に入院していた履歴が確かにあった。アーサーは母の虚言にずっと騙されていたのか!?

3 アーサーは虐待が元で、脳の神経がおかしくなった

アーカム・ アサイラムの資料によると、アーサーの脳の神経の損傷は、 児童虐待が元で起こった可能性がある。信じていた母に裏切られたと感じた瞬間。

4 アーサーの恋人のソフィーが妄想だった

 

アーサーの側で彼を支えていたと思われたソフィーだが、実際にはそばに居なかった。そばにいるのはアーサーが作り出した妄想である。

本物のソフィーはアーサーを同じ階の住人としてしか知らない。

5 精神病院から出ているのかいないのかが謎

 

アーサーは序盤のカウンセリングでは、精神病院からすでに出ているということだったが、最後に精神病院がくる理由は!?もしかすると・・・彼はずっと精神病院を出ておらず、すべて彼の妄想だったのでは!?可能性がないとは言えない。

映画ジョーカーには、サスペンスチックな、どんでん返しが多いとお分かりいただけただろう。しかも、アーサー自身が狂っているので、何をどこまで信じてよいのか、誰にもわからない(これまた上手い作りになっている)。

ジョーカー誕生の物語を描いたが、未だ謎を含んでまっせ!ということだろう!

ベールを脱いだジョーカー。しかし、全てがジョークだと言わんばかりに、物語は謎を持ち続けているのだ。

考察:社会・親、すべてに裏切られたジョーカー

 

なぜアーサーが、ジョーカーになってしまったのか!?

映画『ジョーカー(Joker)』では、このポイントについても非常に上手く描かれている。

なぜジョーカーになったかの理由をリストアップしていくと、ああ・・・とても悲惨なことがわかる。

  1. 精神病院に入れられる
  2. 脳の神経の問題で世間からキミ悪がられる
  3. 自分がトーマス・ウェインの子供だった
  4. 社会の富の象徴トーマス・ウェインから母が狂っていたと告げられる
  5. 自分は養子で、母の恋人から虐待を受けていた
  6. 尊敬していたマーレイに笑い者にされる

アーサーがジョーカーとなった理由は決して浅くない。リストをみれば、社会、親、尊敬、全てに裏切られ、奈落のそこに突き落とされたことがわかる。

アーサーは、彼が生きる理由すべてに裏切られたといえるだろう。

ゴッサムシティという社会の螺旋階段から、華麗に転がり落ちたのだ。

映画ジョーカー(2019)の批判に反論

 

ジョーカーは個人的に超傑作だと思っているが、批判の声も多くある賛否両論の作品なのだ。

ここでは映画ジョーカーに対する批判について良くあるものを考察し、反論などしていこうと思う。

この物語ジョーカーじゃなくてもよくね?

 

この映画の主人公がジョーカーじゃなくてもよかったという意見は、一見まとを得ている気もするが、わりと抽象的で、ただ煙に巻いているだけのような印象を受ける。

だいたい、ジョーカーじゃなかったら、最後に悪のカリスマになって、暴徒を支配するというラストはどうなるのか?ジョーカーじゃなかったら話し的に“オチない”というところを、完全に見落としている考えだ。

まず、ジョーカー以外のキャラであのラストが成立する具体例はあるのか?
壊れたアーサーが、マフィアになりました、革命者になりましただったら、今回のストーリーではかみ合わない!

この映画はリアリティある作りなので、 ゴッサムシティとジョーカーという背景がなければ、悪のカリスマになった後、機動隊に鎮圧されないのか?という変な疑問が残り、リアリティが失われる。

あと、今回のジョーカー物語は、単純に孤立から悪への変化を描いているのではなく、悪への進化や生まれ変わりを表しているので、この点もジョーカーじゃないとキツイ。

 

ちょっとだけ論点がズレるが、そもそも「この物語は〇〇が主人公でなくても良い」という主張は、どんな作品にも通用する具体性に欠ける言葉だということ。(特にキャライメージとストーリーが浸透していない段階では言いたい放題言える。)イメージが観衆にどのように捉えられているかという側面が強い。

そして仮に、イメージとキャラがバッチリだったとしても「 ターミネーターは シュワちゃんじゃなくてよくね?あの話なら、スタローンでもよくね?」と言うこと自体は可能だ。

特に今回のジョーカーじゃなくてよくね!?という主張の場合、ジョーカーのような有名キャ ラクターの映画が冒険したストーリーになったので、今までのジョーカーと違うという保守的な感情が働いたのだと考える。このキャラはこうでなくてはいけないという 固定観念が、まず前提としてあるのだ。

そんなこといったら、DCキャ ラクターが今後チャレンジできなくなる。

ジョーカーが元はいい人という設定がダメ

 

ジョーカーが元はいい人という設定が、今までのジョーカーのキャラ設定を壊すという主張。しかし、ジョーカーとなったアーサーは本当にいい人か?

母親の世話をしているからそう見えるだけで、精神病院に入っていた理由もわからない変人である。怒られたらゴミ箱を全力で蹴りまくる人間である。どちらかというと、母親にすがっていると言った方が正しいだろう。

 

アーサーは、いい人というよりはすべてを受け入れてしまい、跳ね除ける力もない悲しい人間に映る。

単純に、いい人だとはいえない。元から明らかな変人だし、社会に疎まれる存在だ。

ジョーカーの純粋悪という設定が崩れている

 

過去の設定をどこまで守るかという話。

アーサーがいい人ではなく、もともと変人で、変人・奇人→ジョーカーという変異を遂げていると考えれば、純粋悪だということもできる。

ホアキン・フェニックスの演技にはそれくらいの凄みがあった。

誰もがジョーカーになる可能性があってつまらない

 

アーサーという人物について、いい人以外の要素をしっかり考えれば、誰でもなれるという訳ではないとわかるはずだ。

さらに、一気に仕事・社会・親・恋人(妄想だけど)・尊敬を失ったという、偶然が奇跡のように重なったというのも大きいだろう。

悪に共感し、許容する危ない映画だ

 

相当影響力を持ったらもちろんやばいかもしれないけど、それをいったらアート系の映画や犯罪・マフィア映画など、全部作れなくなる。映画全般に言えるが、悪や背徳者の気持ちを描くというのは、反対に良い社会や良い人間も浮き彫りにできるので、とても意義があることなのだ。

映画『ジョーカー』ネタバレ感想・評価

 

ということで、『ジョーカー』は最高の映画だった。

シリアス度が物凄く高く、もはや単なるヒーローや ヴィラン映画としての枠を完全にはみ出している。アメコミチックな派手な仕上がりを期待したファンには受入れられないかもしれない。

しかし、それでも2019年、確かに新たなジョーカーが誕生した。狂気の理由をたずさえて悪に羽化した、歴史上最狂のジョーカーだ。

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