庵野秀明の映画『シン・仮面ライダー』のストーリーを考察した記事です。
- 『シン・仮面ライダー』のテーマ
- 赤いマフラーの意味
- イチローのプラーナによる人類補完計画の全貌・ネット社会のメタファー
- 仮面ライダーの暴力 VS イチローの非暴力
- 現代アップデートされた組織・ショッカー解説
これらについて徹底的に考察・解説していきます。
↓映画『シン・仮面ライダー』のストーリー結末・ネタバレ感想が知りたい人は下記記事へ↓
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映画『シン・仮面ライダー』考察(ネタバレ)
テーマは、信頼と継承は命より重い
『シン・仮面ライダー』で庵野監督が出したひとつの答えが、“信頼と継承は命より重い”だと感じました。
ルリ子の意思を本郷猛が命をかけて継承し、一文字隼人にたくしました。
自分の幸福でなく、だれかの幸福でもなく、ひとつの思想のために命を投げ出す。
これは人間の命を守るためにプログラミングされたAI・人工知能にはできないことだと思います。
ChatGPTなどの革新的な技術が思った以上に早く世に出回り、人間のできることがどんどん減っている現代文明で人間がすべきことは何か?
それが信頼と継承なのです。真紅のマフラーは信頼と継承のメタファーであり、孤高をおぎなうものなのでしょう。
信頼と継承はコンテンツでも同じです。
イチローの人類補完計画、解説
イチローの計画は人類の魂をプラーナとして物理的に取り出し、自ら作り出したハビタット(理想世界)に送り込むというもの。
(ちなみにハビタットは生息地の意味ですが、ナイロビにある国連ハビタット(UN Habitat/貧困のない住まいづくりをする)のような現実の国際組織をモチーフにしていると考えられる。)
イチローは玉座に座って巨大なネットワークを構築していたので、ハビタットはいわゆる仮想空間(メタバース)的なものなのでしょう。
人類に肉体を捨てさせて、仮想空間に住まわせるのだとすれば、エヴァの人類補完計画のアップデート版といえます。
生命エネルギーや魂でもあるプラーナの詳細は不明ですが、生命をデジタル世界へ移行しようとする発想には、現代のAI倫理への問いかけが含まれているようです。深い設定ですね。
ハビタット世界では人はウソをつけなくなり、真実のみで生きるようです。
ルリ子はそれを“地獄”と表現しました。
イチローはスピンオフ漫画『真の安らぎはこの世になく シン・仮面ライダー SHOCKER SIDE』で母親を通り魔に殺されて絶望していました。
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肉体がなくなれば暴力がなくなり、ウソをつけなければ裏切りも生まれない。イチローは本気でそう考えたのだと思います。
ハビタット空間=ネット社会
しかし掘り下げて考えてみると、ハビタット空間は人間の動物的な部分を無視した理想論です。
人間は肉体がなくなっても精神上でマウントを取るかも知れません。
あとは、ウソがつけないなら「コイツ頭悪すぎ、この女性格悪すぎ、この人存在する価値ねえ、消えろ」みたいな地獄のようなやり取りが待っていることは想像にむつかしくありません。
現代の不毛なSNS社会を凝縮したような最悪のディストピアが待っているでしょう。ルリ子はそれを危惧していたのだと思います。
つまりハビタット世界=ネット社会のメタファーととらえることもできます。
仮面ライダーの暴力 VS 非暴力のイチロー
本郷猛と緑川イチローはプラスとマイナスのような対になる存在です。
本郷猛は父を、イチローは母を、それぞれ通り魔に殺されています。
お互いに暴力を嫌悪する点でも一緒です。
ルリ子への想いも通じるものがあるでしょう。
そして最後はルリ子の想いを共有し、本郷とイチローは対消滅します。
2人の関係性については面白いことに気づきました。
それはイチローはあくまで非暴力の世界を望んでおり、本郷猛は仮面ライダーになってそれを暴力で解決する道を選択していることです。
イチローと仮面ライダーについてはショッカーの非暴力 VS 仮面ライダーの暴力、この逆転した構図があります。これが『シン・仮面ライダー』のもっとも革新的な部分でしょう!
また抽象的に考えると、イチローが望んでいたのは仮面をつけなくていい社会です。
それに対して本郷猛は必要に応じて仮面をつけて戦う道を選びます。
自らの優しい心を仮面の下に隠して行動しなければならないときがある。
仮面とその下の素顔を使い分ける人間の偽りや矛盾を肯定するメッセージがあると思いました。
幸福を実現する組織・ショッカー
SHOCKER(ショッカー)は「Sustainable Hapiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling」の略で、計算知識を埋め込んで持続可能な幸福を志す愛の組織と訳せます。
悪の組織ではありません。個々の幹部が自分で人類の幸福を考えた結果、暴走しているだけです。
思想も深いです。
ルリ子の発言によると、「最大多数の最大幸福を実現する道ではなく、個々の絶望を救う」思想があるとのこと。
人類全員の幸せのために機械化やコントロールを進める安易な功利主義ではないのですね。哲学や倫理学でいうトロッコ問題(5人と2人ならどちらを救うか?)の手前にはいません。
現代の資本主義や民主主義に置いてかれた人の救済を目的としており、ネット社会である程度数をあつめた多数派が安易に支持される現代社会へのカウンターにもなっています。
多数派の幸せは個々の幸せを意味しないという民主主義の欠陥を補おうとしている点が、思想としては素晴らしいですね。
そこで重要になってくるのが自立型のケイや、人工知能・アイです。
ショッカー創設者(演:松尾スズキ)は人類は人類を幸せにできないと考えて、最高のAI=アイにショッカーの未来を託して自殺した経緯があります。
かんたんに言うと創設者は「愚かな人間が決定権を持っても幸せな未来はない」という答えにいきついたのです。ショッカーは創設者の絶望から生まれたのです。
絶望から生まれた組織が人類に希望をもたらすことはできるでしょうか?ここにショッカーという組織の重大な欠陥があるように思えます。
それに対して本郷猛は自らの意思でイチローと戦ってルリ子の想いを理解させて死亡。一文字隼人は自らの意思でライダーを継ぎます。
彼らは“人類における選択の正しさ”など計算していません。自らの幸福も求めていません。そこにショッカーが見落としている人間らしさの本質があります。
『シン・仮面ライダー』ではニヒリズムを超えて自ら選択することの意味が実存主義的に表現されていました。
ケイの目的
ケイは仮面ライダーと怪人のバトルに手を出すわけでもなく、すみっこに立って戦いを見つめています。
ケイの目的は主に人間の絶望を観察することとされていました。
絶望の観測によって、反対に人類に希望を与えるにはどうすればいいか計算しているのでしょう。
ただデータが必要だから怪人や仮面ライダーの絶望や死を見つめているというのは、考えてみればすごく怖いです。
殺人の観察者と言い換えられるでしょう。
ロボットは情や共感という動機で人類を救うわけではなく、そうプログラムされているだけだという底知れぬ異質さや恐怖を感じます。
立花と滝の正体、ゼーレ?
庵野ユニバースの住人である竹野内豊は『シン・ゴジラ』『シン・ウルトラマン』に引き続き“政府の男”を演じました。
『シン・ウルトラマン』でウルトラマンを演じた斎藤工は情報機関の男・滝として登場。
立花と滝はテレビシリーズの立花藤兵衛と、FBIでライダーの協力者・滝和也から取ったものでしょう。
ただパンフレットのインタビューで竹野内豊さんは「立花が本名かはわからない」と言ってました。
政府の男と情報機関の男は、本名を偽っている可能性もあります。少なくともテレビシリーズの立花藤兵衛や滝和也の立ち位置には今後もならないでしょう。
この2人の正体は(メタ考察を含みますが)ゼーレではないでしょうか。
たくさんの俳優が複数のシン作品に登場しているので、庵野秀明はシン・ユニバースの融合を考えていると思います。
そこでゼーレを黒幕として、エヴァンゲリオン、ゴジラ、ウルトラマン、仮面ライダーの対決がみれるかも知れません。
『シン・仮面ライダー』も設定はエヴァっぽかったですし、エヴァの設定を根幹においてさまざまなヒーローを融合させるコンセプトがありそうです。
記号的なストーリー構造
映画『シン・仮面ライダー』の細かいところを全部はしょって要点だけ詰め込んだストーリーは、きわめて記号的だと言えます。
ルリ子が1号や2号にマフラーを巻くシーン、クモオーグとの攻防など、過去のテレビシリーズの意味を知っているのが前提です。
ルリ子というキャラクターも綾波レイのトレースにも見えます。絶対とまで言いませんが綾波レイのキャラを理解していたほうが、ルリ子を理解しやすいでしょう。
何が言いたいかというと『シン・仮面ライダー』は観客に仮面ライダーや庵野リテラシーがあったほうが楽しめるハイコンテクストな作りだということ。
例えば巨匠・黒澤明監督もさまざまな作品で繰り返すモチーフ的な映像があり、作品で唐突な流れでそのモチーフ映像になっても過去作で似た映像を見ていると、自動的に感情が湧き上がってくるようなところがあります。
『シン・仮面ライダー』もそうです。過去の庵野作品のモチーフが記号として繰り返されており、過去作に思い入れがある人にとっては途中段階がなくても構図やセリフが記号として機能し、自動的に感情移入のスイッチが入るのです。
だから唐突に線路で本郷とルリ子が交差するシーンも、観客シン・エヴァなど過去作を想起することで成立するわけです。
ルリ子のアップシーンなんかも髪型や表情、アングルや構図含めて綾波っぽいですよね。
ルリ子も綾波レイも作られた人間である点も類似しています。
ここまで似ていると庵野監督がどれだけ意図的だったかはさておきエヴァを見たことある人なら、ルリ子の一瞬のカットを見ただけで綾波レイの悲哀を想起するはずです(無意識的であっても)。
ルリ子の心情吐露のシーンが少なくても、ある意味において共感が成立します。
まとめると『シン・仮面ライダー』は庵野秀明の美しい記号を羅列した映画だといえるでしょう。
逆にいえば登場人物の心情を細かく描いたシーンを積み重ねるヒューマンドラマ作品とは一線を画すものです。
映像を見てすぐに過去作が無意識にフラッシュバックするようなファンにとっては「美味しいところだけで構成された映画」になり得ますが、そうでない人にとっては意味ありげだけど脈絡のないシーンの連続で全然面白くない…となるでしょう。
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