ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞したヨルゴス・ランティモス監督の最新映画『哀れなるものたち』を公開初日に見てきました!
作品情報・キャスト
あらすじ・ネタバレなし感想
物語ネタバレあらすじ・ラスト結末解説
視聴後の感想・評価レビュー(ネタバレあり)
考察:ストーリーの意味、タイトルの意味、モノクロとカラーの理由
これらの情報を知りたい人向けにわかりやすくレビューしていきます!
(前半はネタバレなし、後半はネタバレありです。お好きな項目から読んでください)
これから視聴する方の参考になるよう、作品についての視聴者口コミ・アンケートも投票お願いします↓
映画『哀れなるものたち』作品情報
制作国:アメリカ・イギリス・アイルランド
上映時間:2時間21分
原題:『Poor Things』
ジャンル:ヒューマンドラマ・ファンタジー
年齢制限:R18指定
監督:ヨルゴス・ランティモス
脚本:トニー・マクナマラ
原作:アラスター・グレイ『哀れなるものたち』
撮影: ロビー・ライアン
音楽:イェルスキン・フェンドリックス
2024年のアカデミー賞では作品賞や主演女優賞、監督賞など主要部門を含む11部門でノミネートされており、最多の『オッペンハイマー』に次ぐ勢いです。
キャスト
ベラ・バクスター |cast エマ・ストーン(『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』『ララランド』『クルエラ』)
ダンカン・ウェダバーン|cast マーク・ラファロ(『アベンジャーズ』『スポットライト 世紀のスクープ』『アダム&アダム』)
ゴッドウィン・バクスター|cast ウィレム・デフォー(『ライトハウス』『ナイトメア・アリー』)
マックス・マッキャンドレス|cast ラミー・ユセフ
ハリー・アストレー|cast ジェロッド・カーマイケル
アルフィー・ブレシントン|cast クリストファー・アボット
スワイニー|cast キャサリン・ハンター
トワネット|cast スージー・ベンバ
フェリシティ|cast マーガレット・クアリー
映画『哀れなるものたち』あらすじ
医者のマックス・マッキャンドレスは、尊敬する偉大な医学博士ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)に招かれて彼の家へ。
家にはベラ・バクスター(エマ・ストーン)という美しい女性がいたが行動がおかしい。
ゴッドウィンは「ベラは事故にあったため、体は成人だが頭は幼児だ」と話す。そしてマックスにベラの生活を記録する仕事を頼んだ。
ベラの知能は驚くべき速度で成長していった。
マックスは奇想天外な行動をするベラに惹かれていく。しかしベラがゴッドウィンの手によって死から蘇った女性だと知り、驚きと苦悩を隠せない。
成長したベラは、自由を求めて弁護士のダンカン・ウェダバーン(マーク・ラファロ)と旅をする決意をする。
『哀れなるものたち』ネタバレなし感想・海外評価
倫理や道徳を破壊しながらところどころに笑いを入れ込み、さらにエグい性行為の描写がたくさん。
性描写が非常に多いので身がまえておきましょう。間違っても親や子供と見に行かないように(笑)。
グロいシーンもたくさんあります。
倫理観無視のはちゃめちゃな展開という意味では、デイミアン・チャゼル監督×マーゴット・ロビーが『バビロン』で出来なかったことを、ヨルゴス・ランティモス監督とエマ・ストーンがすべてやり切った印象でした。
これまでたくさんの映画を見てきましたが、観る側の常識の範疇をこれほどまでに超えてくる作品にはなかなかお目にかかれません。
まだ2024年の1月が始まったばかりですが、年間ベストどころか、ここ数年のベスト級です。
18歳以上の人はぜひ劇場に足を運んで衝撃を味わってください!
おすすめ度 | 96% |
世界観 | 99% |
ストーリー | 90% |
IMDb(海外レビューサイト) | 8.4(10点中) |
Rotten Tomatoes(海外レビューサイト) | 批評家 94% 一般の視聴者 81% |
メタスコア(Metacritic) | 87(100点中) |
※以下、映画『哀れなるものたち』のストーリーネタバレありなので注意してください!
映画『哀れなるものたち』ネタバレ感想・評価
問題作であり超傑作
常識という色眼鏡を外した女性の生き様を描くコンセプトがあるわけですが、常識を超えた展開のオンパレードにすることで観客の常識すらも機能しなくなる革新的な構造です。
無垢な女性を描く映画はたくさんありますが、多くは「無垢な女性」という固定観念のうえで成り立っています。
『哀れなるものたち』は無垢な女性はもちろん女性という枠組みそのもの、さらにいえば人間の枠組みすらも破壊しており、一般的なフェミニズム映画のカテゴリに収まりきりません。
そこに最後のオチ(元夫と羊の脳を入れかえる)などシュールで冷ややかな目線もこめられています。
過去作『籠の中の乙女』や『ロブスター』のラストを見ても、ヨルゴス・ランティモス監督がシュールで皮肉めいた感性の持ち主であることは一目瞭然でしょう。
女性を所有しようとする男性と、そこから脱却して自由を選ぶ女性というシンプルな二項対立では表現しきれない作品です。
そのあたりがアカデミー賞で多数ノミネートの評価を受けた大きな理由でしょう。
「世間は女性の自由を美しさのように語るけど、本当に自由な女性は狂気でもある!」という、善悪するら超えた突き抜けたものがあります。
ゴドウィンを神、ベラを創造されたものと捉えると、性に対して貞操観念を持たないベラの振る舞いは反キリスト教的にも見えますね。
ベラの存在自体もそうですし、豚と鶏を合わせたり、さらには元夫に羊の脳を入れちゃうなど完全なアンチクライストです。
見るまえは「フランケンシュタイン×女性賛歌みたいな感じかな」と勝手に思ってましたが、そんな想像は吹き飛ばされました。
シュールで笑えるシーンも盛りだくさん。コメディセンスも抜群です。
芸術と呼べるビジュアル
ヨルゴス・ランティモスと撮影監督のロビー・ライアンの感性が今作でも炸裂していました。
『女王陛下のお気に入り』でも超ワイドレンズを使って不思議な雰囲気を作り出していましたが、今作ではそこにシュールで幻想的な背景が加わり、もはやシュールレアリスムの美術館に来ているかのようでした。
覗き穴っぽいショットも多用されています。
退屈なシーンが1つもない。何度も眺めたい映画です。
女王陛下のお気に入りでもあったエマ・ストーンの奇妙なダンスシーンは本作でも健在でしたね。
映画『哀れなるものたち』考察(ネタバレ)
母であり娘でもあるTHE・女性
『哀れなるものたち』の物語の意味やメッセージは一体なんだったのでしょうか?
解釈がたくさんあると思いますが、私は「母であり娘でもある」というのが大きなポイントだと思います。
母であり娘でもあるとは、いわば女性を包括する存在です。女性を代表するというとわかりやすいかもしれません。
そんなTHE・女性=ベラが、固定観念や倫理観がない状態で自由意志でどんな選択をするのか?
衝撃的な映像の数々でその答えを示したのが『哀れなるものたち』だったのだと思います。
単純にフェミニズムや多様性を肯定するというより、女性の自由の究極形=ベラを描くことでフェミニズムや多様性についてより広い視点で捉えらることができるのが本作の大きな意義です。
『哀れなるものたち』は誰を指す?
タイトルの『哀れなるものたち』にはどんな意味が込められているのか?誰を指しているのか?
- 自分が父から人体実験という虐待を受けてきたにも関わらず、父の生き方を継承するゴッドウィン
- ベラが娼婦になることに我慢できずに頭が変になったダンカン
- 婚約したものの、ベラをダンカンに取られてしまうマックス
みんなもれなく哀れです。
ベラは自らも脳を入れ替えられた存在でありながら、元夫・アルフィーの脳を羊の脳と入れ替えます。哀れの連鎖ですね。
善悪や正誤で判断できるものではなく、ベラやゴッドウィン、マックスは自分の生き方に誇りを持っているでしょうけど、一般常識で考えると“哀れ”です。
文字通りの「登場人物全員が哀れ」意味でタイトルに“哀れなるもの”とつけた面もあるでしょうけど、それだけでしょうか。
- 哀れな生き方の中に真理がある
- 他人から見たら哀れでも、本人たちは幸せ
- 世の中の人間は1人残らずみんな哀れである
などなど、さまざまな逆説的なメッセージが込められていると感じました。
モノクロとカラーに分けた理由
ベラの知能が幼児の頃は白黒の映像→ゴッドウィンから解放されてダンカンと旅に出てからカラーに変わります。
モノクロからカラーへの切り替わりでベラの感性の変化や成長を表現しているように感じました。
ベラは受け身でなく主体的に生きるようになり、色が見え始めたのかもしれませんね。
脳みそ幼児のヒロインが破壊する女性に関しての常識
映画『哀れなるものたち』の1番わかりやすい解釈は、女性に対する社会通念や常識の破壊です。
ベラは見た目は美しい女性ですが、脳みそは幼児(自分のお腹にいた胎児の脳を移植)。
年齢も1歳未満で、さまざまな経験自体がまったくありません。
そんなベラに対して、ダンカンら周囲の人々は普通の女性として接します。
なんの固定観念も持たない女性が抱く疑問の前に、ダンカンが持つ女性像が崩壊していく過程は痛快です。
ベラが社会や常識を疑うことによって、その常識自体が次々に破壊されていく快感があります。
性は生理現象にすぎない
『哀れなるものたち』ですごく斬新だったのが、性は生理現象にすぎないような描き方がなされていたこと。
人間にとって性の問題は自身と切り離せませんし、アイデンティティの一部との考えが一般的です。
しかし脳みそがツルツルの状態のベラは、気持ちいいからという理由だけで自慰や性行為をします。
恋愛感情を伴わないベラの性行為は、もはや単なる生理現象にみえました。
多様性が謳われる昨今の風潮においては性に関してのアイデンティティが重要視されていますが、ベラは「それって本当に大事なの?」という疑問符をふりまいているようです。
ベラはたくさんの男性や同僚の女性と関係しますが、自分の性的なアイデンティティに固執している感じはありません。
エマ・ストーンはインタビューで「性は重要な要素だけど、食べ物、旅行、哲学など他のものと同じく1つの側面」と語っています。ベラは自分の体に対して恥ずかしさを持っていないとの重要な視点もありました。
性的なアイデンティティはベラを形成する一部に過ぎないと物語ることで、多様性やポリコレの問題についてより外層から考えるきっかけをくれるのが『哀れなるものたち』だと思いました。
ベラ=リバタリアニズムの怪物
常識を疑わず何にでも挑戦するベラと、自分が作り上げたベラを家から出したくないゴドウィンからは、リベラル VS 保守の構図が見えてくるように思えますが、実際は少し違います。
ゴドウィンはベラを愛しながらも彼女を管理する保守的な男社会の象徴です。ベラと駆け落ちしてやろうというTHEスケベオヤジ・ダンカンも、ベラがヴィクトリアだったときの夫・アルフィーもそうでしょう。
対してベラは、娼婦になって金を稼ぐことに疑問を持たないなど、リベラルを超えた個人主義=リバタリアニズムの側にいると思いました。
ベラ=リバタリアニズムの怪物ともいえるでしょう。
ベラをぶっ飛んだ女性として描くことで、社会は女性や、ひいては人間の自由をどこまで許容できるのかの問題提起がなされているのです。
フェミニズムについて、フェミニズムを超えた領域で問題を投げかけています。
少し意地悪な言い方をすると、本作をフェミニズムや女性賛歌の枠だけでしか語らないなら、それは問題の矮小化です。
ベラの奇想天外な物語をフェミニズムという既存のフレームだけで切り取ってしまうのは勿体無い。
自殺した女性に赤ちゃんの脳を移植した突飛な存在ですし、すでにある思想を超越したところにいるのがベラです。
(コメディとはいえ、元夫にヤギの脳を移植していますしね)
既存のカテゴリを破壊しているベラを、既存のカテゴリに押し込めることに無理があります。
女性賛歌のみの単一な視点で切り取るということは、ゴドウィンやダンカンがベラを自分の常識に押し込める構造と一緒です。
『哀れなるものたち』は、そんな思考の罠から脱出するタイプの作品でしょう。
生まれ変わって世界を解体しているベラには、さまざまな問題を再構築する力があります。
既存のカテゴリに当てはめて射程を狭めないほうがいいと感じました。
ベラは社会主義や博愛主義にも興味を持っていましたし、ハリーのニヒリズムに反抗していました。それらを含めると多様性や相対主義の怪物ともいえるかもしれませんね。
個人的には、ベラが持つ破壊者の側面を重要視せずに「フェミニズムの旗手」の面だけを強調することに違和感を覚えます。
人間を愛しつつも、究極の自由を求めて登場人物や観客の思想を破壊しまくっている構図が興味深いと思いました。
無知のヴェール
成人女性と赤ちゃんの脳みそが掛け合わされたベラは、アイデンティティがゼロの女性と言い換えることもできるでしょう。
さらにいえば社会の常識や相手の事情など少しも知らないベラは無知のヴェールでおおわれた状態なのです。
本作の素晴らしい点は主人公のベラが無知のヴェールに覆われた状態で、女性とは何か?人間とは何か?の答えに向かって突き進んでいったところ。
「自分はこういう女性だ」というアイデンティティがない状態で、女性とは?人間とは?の問題に挑んでいるのです。
無知のヴェールの思考実験に通底するものがあります。
結婚まえに駆け落ちしたり、娼婦になったりといったベラの行動は、実は女性の本質や普遍性を孕んでいるのでは?という解釈が導き出されます。
無知のヴェールをかぶって冒険に挑んだベラが暴いたのは、「本当に無知なのは、ずっと女性の本質を覆い隠してきた社会」だ!ということ。
映画『哀れなるものたち』ネタバレあらすじ解説
ベラ誕生の秘密!
ゴッドウィン博士はベラに娘のような感情を抱いていた。
ベラは自らの肉体を弄ぶ気持ちよさを知り、自慰行為に耽るようになる。ゴッドウィンやマックスが「道徳的に良くないことだ」とそれを止めた。
ゴッドウィンはマックスにベラと婚約するように言う。マックスは喜んで了承した。
しかしマックスはゴッドウィンの研究資料から、ベラは川に飛び込んで自殺した妊婦で、彼女のお腹にいた赤ちゃんの脳みそを移植して誕生した存在だと知って愕然とする。
法律家のダンカン・ウェダバーン(マーク・ラファロ)がベラに会う。
ダンカンは「世界を見るために一緒に旅をしよう」と言った。
ベラはゴッドウィンとマックスに向かって「ダンカンと駆け落ちする」と叫ぶ。
ゴッドウィンは「おまえの意思を尊重する」と言った。
ベラはダンカンに連れられてポルトガルのリスボンへ。2人はそこで激しく愛し合った。ベラはダンカンの体を何度も求める。
ベラはリスボンで音楽やお菓子を満喫した。
倫理観などないベラは、ダンカン以外の男性とも性行為をする。
遊びのつもりだったがベラに惚れてしまったダンカンはショックを隠せない。
ダンカンとベラはパーティー会場で踊る。ダンカンはベラに色目を使った男たちと取っ組み合いの喧嘩をした。ベラも加わって大騒ぎになる。
いっぽうロンドンでは、ベラがいなくなって寂しいゴッドウィンとバクスターが死んだ別の女性を蘇生させる。彼女はフェリシティと名付けられた。
クルーズ船
ベラを独占したいダンカンは、「他の土地へ行こう」と言ってベラをスーツケースに入れて拉致し、クルーズ船に乗り込んだ。
ベラはクルーズ船でマーシーという老婆やハリーという男性と知り合う。
ベラはマーシーから「ここ20年性行為をしていない」と聞いて驚愕した。
ダンカンに飽きていたベラは、マーシーから借りた本をたくさん読むようになる。
ハリーがベラに「哲学や思想を勉強しても意味がない。人間は結局は檻の中の獣だ」と言う。そして次の停泊地で赤ちゃんがたくさん死んでいる貧民街を見せた。
ベラはショックを受け、部屋で泣き崩れる。
ベラにほっとかれているダンカンはギャンブルにふけるようになり、ある日大勝ちした。
ベラはダンカンが寝ている間に彼の金を取り、貧民街の人たちに金を渡すように船員に頼む。船員はもちろんその金を持ち逃げした。
パリで娼婦に
ベラとダンカンは無一文になったためフランスで船を降ろされて冬のパリへ到着。
ダンカンは金がないと塞ぎ込む。
ベラは娼館を営むスウィニーと知り合い、初めて会う男性と性行為をして金を稼いだ。
それを知ったダンカンは激怒。ベラはダンカンに金を渡し、「私たちの関係は終わり。イギリスへ帰れ」と怒鳴った。
ベラはスウィニーに雇ってくれと言い、多種多様な嗜好を持つ男たちを相手にして金を稼ぐ。
しばらくするとベラへの嫉妬で頭がおかしくなったダンカンが娼館の外で叫ぶが、ベラは娼婦の仕事を辞めようとしなかった。
ベラは同じく娼婦のトワネットと社会主義の会合へ行く。
ラスト結末
ダンカンはベラへの嫉妬で狂い、精神病棟に入れられていた。
ベラはマックスから“ゴッドウィンが病気で長くない”と手紙をもらい、ロンドンに帰国。
ベラはゴッドウィンと再会し、自分が自殺した女性であり、胎児の脳みそを移植された存在だと聞かされる。彼を憎んだが、愛情もあった。
ベラはマックスと結婚することにする。
しかし結婚式の教会にダンカンがアルフィー・ブレシントンという男を連れてやってくる。
アルフィー大佐は「ベラの正体はヴィクトリアで私の妻だ」と言う。
生前の自分がどんな生き方をしていたか知りたかったベラはアルフィーについていった。
アルフィー大佐は使用人に暴力を振るう最悪な男だった。
アルフィーから虐待を受けていたせいか、生前のベラも使用人を邪険に扱う人物だったようだ。
さらに妊娠すると自分の子供をモンスターだと思うようになり、パニックになったらしい。
アルフィーはベラの性器の一部を切除しようとした。
ベラはアルフィーを撃ち、ゴッドウィンの屋敷に連れて帰る。
ゴッドウィンはベラとマックスに見守られながら死亡した。
ベラはマックスとトワネットと一緒に暮らしながら、医師を志して勉強をしていた。
ベラの手によって羊の脳を移植されたアルフィーが、草を食べながら「メェ〜」と鳴いている。
映画『哀れなるものたち』終わり
最後のまとめ
映画『哀れなるものたち』は、超広角レンズや幻想的な舞台を駆使した芸術的な映像と、エマ・ストーン演じるベラによる倫理観がぶっ飛んだストーリーが魅力的でした。
『女王陛下のお気に入り』も傑作ですが、人生に影響を与えるような衝撃作という意味では本作が1枚上手でしょう。
ヨルゴス・ランティモス監督の次回作に期待したいです。またエマ・ストーンとタッグを組むのも全然アリだと思います!
ここまで読んでいただきありがとうございます。映画『哀れなるものたち』レビュー終わり!
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