ネタバレ考察!映画『キネマの神様』感想レビュー!キャスト相関図あらすじ結末解説:ロマン+ほろ苦いリアル

  • 2024年3月24日

映画『キネマの神様』は映画制作に青春を捧げた主人公の過去と現在の コントラストに感動する良作でした!

青春ロマンス的な一方で、人生に対してのリアルな問題提起もなされています。

ネタバレあらすじ解説やぶっちゃけ感想・評価に加え、映画の内容について深く考察してみました。

※これから視聴する人は、見どころ以降はネタバレありなので気をつけてください。

『キネマの神様』キャスト相関図・作品情報

『キネマの神様』キャスト相関図

(記事の画像元:映画『キネマの神様』公式サイト|2021年8月6日(金)公開)

キャストが超豪華ですし、個人的にテンションが上がる顔ぶれでした。

主演の 菅田将暉は映画『キャラクター』の熱演が記憶に新しいです。

永野芽郁は『地獄の花園』(2021)で主演を務めて話題になりました。

寺島しのぶは最近だと『アーク/Arc』の演技が素晴らしかったです。今作でも演技力はピカイチでした。2022年は『新聞記者』ネットフリックスオリジナルドラマの出演でも話題に。

リリー・フランキーは『全裸監督2』でも今作で演じた出水監督のように捻くれたキャラを演じていましたね。

全体的にキャストはバッチリすぎるほどバッチリだったと思います。

見どころ

youtu.be『 男はつらいよ』や『 釣りバカ日誌』シリーズなど、 山田洋次監督のファンなら絶対に楽しめる、完成度が高くて感動的なヒューマンドラマです。

主演の 菅田将暉や 沢田研二はもちろん、食堂の娘役の 永野芽郁や巨匠監督役の リリー・フランキー、昭和大女優役を演じた 北川景子までキャストも非常に豪華。

それぞれ演技のタイプが全然違いますが、どのキャラクターも見応え抜群です。

ただ、妙にリアリティがあり過ぎる展開もあり、その点については評価が分かれるかもしれません。

ちなみに主題歌は主演の 菅田将暉と、青年期のテラシンを演じた 野田洋次郎のバンド・ RADWIMPSとのコラボです。

映画『キネマの神様』評価・ネタバレ感想

山田洋次監督映画『キネマの神様』

映画『キネマの神様』の評価は86点。

登場人物の現在と過去の対比が素晴らしい上質なヒューマンドラマでした。

原作が作家・ 原田マハが父親との関係についての実体験を基にした 私小説寄りのものらしく、それもあってリアリティのある設定が多いのも印象的。(原田マハさんの小説は『総理の夫』も映画化されましたね)。

例えばゴウがなぜ映画監督として成功できなかったかというと、初めての監督業のプレッシャーと強いこだわりのバランスが取れなくなってしまったからです。

現実社会でも、どんな分野でもゴウのように才能がありながら力を発揮できずに辞めてしまう人は山ほどいます。

また、脚本などア イデアに優れているのとそれを形にするのはまた別の能力で、ゴウはその壁にぶち当たって砕けたといえるでしょう。

園子が「脚本にこんなに書き込みしてすごいけど、現場は想定通り行かないことも多いから上手くできるか心配」というような事を言ってたのもリアリティがありました。

何かドラマティックな理由があったわけではなく、青年ゴウは多くの人と同じような理由で挫折したわけです

『キネマの神様』はその辺が非常にリアルですね。

かと思えばゴウが映画業界から去ってから何の職業に就いていたか全く語られていないなど、その点などはリアリティをあえて排除しているようで 山田洋次監督による徹底したチューニングがなされていると思いました。

ノスタルジックかつロマンティックな雰囲気の中で人生について現実が突きつけられており、みんな幸せでよかったという単純な結論にならないのも『キネマの神様』の良さでしょう。

淑子は幸せだったのか?

永野芽郁演じる淑子『キネマの神様』

淑子はゴウを選んで本当に幸せだったのでしょうか?

結論は幸せだったということでいいかと思いますが、いくつか引っかかる点があります。

まず、歳を取った淑子がゴウの言いなりみたいに描かれていました。

逆らわない・逆らえない妻は昭和世代では多いのかもしれませんが、現代の視点で見ると「本人は幸せなのか?」と疑問に思ってしまいます。

あと、園子が映画から出てきてゴウに話しかけるシーンで「あなたが幸せだったらきっと淑子ちゃんも幸せだったでしょう」とまとめています。

これも正論ではありますが、淑子の意見を度外視しているようでちょっと引っかかりました。

さらに、娘・歩の話からゴウが浮気をして出て行ったことがある衝撃の事実も明らかに。

酸いも甘いも知り尽くした人生経験豊富な人は浮気設定を受け入れられるかもですが、運命の恋を期待していた人や若い世代には「えっ?」となってしまうかもしれませんね。

映画『キネマの神様』はゴウと淑子の運命の恋というより、長年寄り添ったどこにでもいる夫婦のリアルにスポットを当てているようです。

いや、運命の恋と人生のリアルを両方同時に表現したちょっと複雑な作品と言った方が近いでしょう。

2人の人生に賞賛を送りたくなる一方、若い頃はあんなにハツラツとしていた淑子が引っ込み思案な性格になり、ずっと苦労していたというしんみり感も同時に味わえる不思議な作品です。

園子のゴウに対する気持ちは?

ドライブする園子、ゴウ、淑子、テラシン

園子とゴウの関係もやや複雑です。

表面通り受け取ってしまえば、園子は年下で頑張り屋のゴウに弟のような感情を抱いていたとなります。

しかしドライブに誘ったゴウが淑子やテラシンを連れてきたことに、園子が不満を漏らすようなセリフがあったので、恋愛感情も少しあるのでしょう。

ゴウにしても、老人になった彼がテラシンに、「映画で園子の瞳に俺が映っている」というシーンや、最後に園子がゴウの前に現れるシーンから、ゴウが園子に対して憧れを抱いていたこともわかります。

また、ゴウ自ら書いたキネマの神様の脚本は、現実に疲れた主婦がスクリーンの中の俳優とデートする話です(ちなみにこのストーリーは ウディ・アレンの『 カイロの紫のバラ』が基になっている)。

その脚本をゴウの人生と対比させると、やはり園子が出てくるラストシーンは園子がゴウにとって特別な存在だったとなるでしょう。

そう捉えると園子が淑子と並んでしまい、ゴウと淑子が運命で結ばれた感が薄れますね。

リアルに考えると、ゴウが園子に憧れや好意を持つのは当然ですし、淑子と同時に好きになってしまうこともあるでしょう。

その辺まで含めて複雑で味わい深いと感じるか、運命の恋じゃなくて残念と感じるか、評価が分かれそうです。

個人的な推測になりますが、若い頃のゴウがあのまま『キネマの神様』を監督として作り上げていたら、園子と結ばれていたのではないでしょうか。

2つの道が浮かび上がってくる作品ですね。

食堂「ふな喜」のモデル

食堂「ふな喜」のモデルは松竹の撮影所近辺に昔あった松尾食堂という 山田洋次監督が通った実在の食堂のようです。

食堂では リリー・フランキー演じる出水監督やゴウ、女優の園子の輪に看板娘の淑子も入って、みんなで青春していたのが印象的でした。

山田洋次監督の当時のノスタルジックな想いが込められているのでしょう。

また、ゴウが映画を見ながら死んでその後の場面が50年前の撮影所に切り替わりましたが、もう1度生まれ変わることがあってもまた映画を作りたい!という熱い想いが伝わってきますね。

主人公・ゴウは天国か次の世界で、また映画を作っているのかもしれません。

沢田研二・ 志村けん/どっちが良かった?

映画『キネマの神様』はもともと 志村けん主演の予定でしたが、惜しくもコロナで亡くなってしまったので代役で 沢田研二になりました。

沢田研二の飄々としたゴウもよかったですが、 志村けんバージョンならどうなっていたかと想像が膨らみます。

どうしようもない父親役を演じさせたら上手そうですよね。

ストーリー的には 志村けんがゴウ役を演じればダメっぷりが際立ってより整合性がある作品になっていた気もします。

どっちが良かったかは比べられませんが、 志村けんさんも天国でこの映画を楽しんでいるといいですね。

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