Netflix映画『悪夢は苛む』(原題:DISTANCIA DE RESCATE)は、娘を連れてアルゼンチンの田舎でひと夏を過ごそうとする女性が、謎の少年ダヴィドと出会い、悲劇に見舞われる物語。
環境問題と抽象的な難解サスペンスを合体させたような実に奇妙な作品で、一般受けはしないかもしれませんが個人的には大好物でした。
ストーリーネタバレあらすじ解説、ぶっちゃけ感想・評価、ラストシーンの意味深ぼり考察をしています。

Netflix映画『悪夢は苛む』キャスト・作品情報
原題:DISTANCIA DE RESCATE/英題:FEVER DREAM
監督:クラウディア・リョサ
脚本:クラウディア・リョサ/サマンタ・シュエブリン
原作小説:サマンタ・シュエブリン「DISTANCIA DE RESCATE」(2020)
アマンダ役|マリア・バルベルデ
アマンダは、幼い娘ニナと共に父の故郷であるアルゼンチンのど田舎で夏を過ごそうとやってきた女性。
アマンダを演じたマリア・バルベルデ・ロドリゲスはスペインの女優で、Netflix映画『忘れられない恋の歌』でも主役を務めています。
カローラ役|ドロレス・フォンシ
カローラはアマンダが新しく住み始めた家のご近所さん。おかしな行動をする息子ダヴィドがいます。
アマンダと仲良くなり、過去に経験した不思議な出来事を語ります。
ダヴィド役|エミリオ・ボダノビッチ
ダヴィドはカローラの息子で、倒れて意識朦朧とするアマンダに話かける謎多き少年。
病気を術師に治してもらい、それ以来おかしな行動が目に付くようになって母カローラから見放されています。
ネタバレなし感想・見どころ
女性アマンダが生命の危機に瀕し、現地で知り合った少年ダヴィドとの会話による回想で数日前を振り返っていくという、奇抜な構造に加え、環境問題と母子の関係を抽象的に結びつけた、読解の難易度が比較的高い映画です。
表面的なストーリーの裏にアーティスティックで非常に美しいメッセージがあり個人的にはとても評価したい作品です。
ただ、映画を見てあれこれ思考を張り巡らせるのが好きじゃない人や、エンタメ系が好きな人には向いていないかもしれません。
おすすめ度 | 70% |
革新性 | 95% |
ストーリー | 80% |
IMDb(海外レビューサイト) | 5点(10点中) |
Rotten Tomatoes(海外レビューサイト | 71%(100%中) |
※以下、映画『悪夢は苛む』のストーリーネタバレありなので注意してください!
映画『悪夢は苛む』ネタバレあらすじ解説
オープニング
意識が混濁して森で倒れているアマンダに、少年ダヴィドが語りかけます。ダヴィドは「細部を大事にして、この土地へきたときから思い出して」と言いました。
アマンダの回想
アマンダは娘のニナとひと夏を過ごそうと、父の故郷であるアルゼンチンの田舎へやってきます。
近所に住むカローラという女性と友達になりました。カローラは数年前、馬の繁殖をする夫オマールが連れてきた種馬を不注意で逃がしてしまった話をします。
馬は川の水を飲み夜に倒れて死亡。息子ダヴィドも川のそばの水溜りに入ったせいで倒れます。
カローラは地域の住民が頼りにする、緑の家のおばあさん術師にダヴィドを見せました。
すると「毒で体がもたないから魂を手放して別の体に入れれば、毒が2つに別れて肉体は助かる」という“移し”の儀式を提案されますが…。
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- ダヴィドの体は治りますが、もう以前の彼ではなく動物の死骸を埋めるなど変な行動をするようになり、カローラは彼のことを息子と思えなくなってしまいました。
話を聞き終えたアマンダは信じられず、同じ親としてカローラを理解できないと思います。
アマンダはダヴィドと仲良くなりますが、彼は夜中にマンホールの中でスケボーしていたり、アマンダがカローラと出かけているときに家の鍵を閉めて、中でニナと2人でかくれんぼしたりと不審な行動が目立つように。
ある夜、ダヴィドが家に侵入し、アマンダのベッドのそばまでやってきます。アマンダは驚きと恐怖でニナを車に乗せてこの土地を離れることに決めました。
翌朝、アマンダは最後にカローラに挨拶しようと彼女の職場に行きます。アマンダはカローラと草むらの上で話していると突然倒れ、病院へ運ばれました。
アマンダを運ぶダヴィド
病院のベッドで朦朧とするアマンダにカローラが話かけ「ニナが危ないから緑の家へ連れて行く」と言います。
アマンダはベッドから起き上がって外へ出て、倒れました。そばにやってきたダヴィドに「緑の家へ連れて行って」と頼みます。
ダヴィドはアマンダをボートに乗せ、漕ぎながら話しかけました。
アマンダは、ニナが落とした飴が濡れていたのは朝露だと勘違いして舐め、それをニナにも舐めさせていたと気づきます。飴についていたのは朝露でなくこぼれた農薬でした。
アマンダは、見えない糸が張り詰め、切れるのを感じて死亡。
ダヴィドはアマンダに1年後の映像を見せます。
夫マルコ(ニナの父)が、病気から治ったニナの様子がおかしい原因を調べるため、カローラの家にやってきました。
カローラはすでに家を出ており、マルコは彼女の夫オマールに何が起こったか聞きます。しかしオマールは逆に、俺が聞きたいと言い返しました。
マルコが車に乗ろうとすると、後部座席にニナが持っていたモグラの人形を抱えたダヴィドが座っています。
オマールはダヴィドを無理やり降ろし、マルコの車は去って行きました。
Netflix映画『悪夢は苛む』END!
映画『悪夢は苛む』ネタバレ感想・評価
悪夢は苛む:徹底考察!
ラストの意味:ダヴィドの正体
ラストではダヴィドがマルコ(アマンダの夫)の車に乗り込みましたが、その時にニナが大事にしていたモグラの人形を抱えて、冒頭のニナと同じ姿勢で座っています。
これは、緑の家に連れて行かれたニナの“魂”がダヴィドに乗り移ったことを示唆しているのでしょう。
ボートの上で瀕死のアマンダの「娘をそばへ」という言葉に対して、ダヴィドが「アマンダ僕はここだ」と答えています。
冒頭からアマンダと回想でしゃべっていたのは、ダヴィドでもあり娘のニナでもあるのです。
“移し”の儀式の意味
結末としてダヴィド=ニナになっていると解説しましたが、それはあくまで表層部分であり、“移し”の儀式の意味を考えることが作品を理解する上でとても重要になってきます。
カローラは息子ダヴィドが毒に侵されて死にそうになったとき、“気”を操る術師のおばあさんがいる緑の家へ連れて行きます。
おばあさんは“移し”という儀式でダヴィドを救うことを提案。具体的にはダヴィドの魂を肉体から解放して別の健康な体へ入れれば、毒の一部も魂についていき肉体は助かるというものです。
ダヴィドは魂と肉体、2つに分離して生きていくことになります。
ダヴィドの魂はどこか他の体、もしくは他の場所へ行ってしまうので、もう以前のダヴィドではありません。肉体には代わりに別の魂が入ります。
おばあさんは儀式の際、水の入った2つのバケツと糸を用意していました。
儀式の全貌は描かれていないので推測になりますが、2つのバケツは母カローラと息子ダヴィドを表しているのだと思います。
そうすると糸は臍(へそ)の緒でしょう。
母と息子の間では、生まれたときに肉体的な臍の緒は切れますが、精神的な臍の緒(心の結び付き)は目に見えなくても強く存在しています。
この精神的な臍の緒こそが、子供の魂を肉体に繋ぎ止めているものなのかもしれません。
おそらく“移し”儀式では、この糸を断つのでしょう。
結果親子の精神的な結びつきが切れ、カローラは治ったダヴィドを抱きしめもせず、「息子ではない」と感じるようになります。
“移し”の儀式について緑の家のおばあさんの言葉をそのまま取れば、ダヴィドの魂は誰か他の子供の体の中に入っているはずです。フワッとした説明ですし、回想でのアマンダとダヴィドの会話を聞いていると、魂が全部出ていくのか、半分になったのかもよくわかりません。
深読みになりますが、ダヴィドの魂が、ニナの魂がどこにあるかアマンダに教えるサポートをしたというのが、映画『悪夢は苛む』の本質ではないでしょうか。
ダヴィドと母カローラとの結びつきは切れてしまいましたが、彼のさまよえる魂か、肉体に残っていた魂の一部が、ニナの魂に同じ思いをさせたくない、と手助けしてくれたのだと思います。
つまり単純にダヴィドの魂がニナになったのではなく、2人はある意味一体化しているのです。だからダヴィドは冒頭で「僕」ではなく「僕ら」と言っているのでしょう。
では残りの、ダヴィドの魂はどうなったのか?ニナの体に入っているのだと思います。
これは、ダヴィドがニナと水の中の砂鉄を磁石で対極に寄せる実験をしていたことが理由です。この実験が“移し”の儀式の図解になっているの考えられます。
砂鉄は2つの魂が混ざったもの、2つの磁石がダヴィドとニナとすれば、移しで肉体から出て行った魂は何の法則もなく誰かの体に入るのではなく、引き寄せられる相性がいい人物と交換されると推測することができます。
そうすると、ダヴィドがニナと仲良しで、勝手に家の中に入ってアマンダのベッドに来ていたのは、“ニナになる予兆”を感じ取っていたのでしょう。
もしくは時空を超えたニナの魂がダヴィドを器として、母アマンダを見つめていたと言い換えられるかもしれません。
糸が絶たれた意味
ラストシーンでダヴィドが言った「糸が絶たれた」というのは、先ほど説明した“移し”の概念を踏まえた上で、原題のスペイン語『DISTANCIA DE RESCATE』=救える距離に対しての言葉で、抽象的にもう救うことができないという意味でしょう。
アマンダは死ぬ間際に、「お腹に巻き付けられた糸がニナに引っ張られて張り詰めている」と言い、ダヴィドは「糸が絶たれた」と続けます。
ニナとの精神的な結びつき(臍の緒)が絶たれてしまったということですが、ニナは「危険を見通せなかったせい?」とも言っているので、もっと大きな局面で捉えることができます。
アマンダを母なる大地、ニナを人間と考えると、アルゼンチンの大地が農薬で汚されて死に、子供たちをもう救えないというメッセージだと思います。
農薬の犠牲者の訴え
ここまでの考察の根底にあるのが、アルゼンチンの農薬問題です。アルゼンチンでは、安全性が低いものまで農地に撒かれ、水が汚染されるなど深刻な環境問題になっています。
ダヴィドが川に浮いていた生き物を庭にたくさん埋めていたのも、死んだ生物を弔う意味があり、劇中で健常者ではない子供たちがたくさん出てくるのも農薬が健康を損なっているという問題提起です。
おばあさんの儀式“移し”についても抽象的に捉えれば、子供が農薬に汚染され、その毒が他の子供の体の中にいる汚染の伝播をメタ的に表現しています。
ニナが持っていた人形がモグラなのも、農薬で土壌・水質汚染が進みモグラなどが住めなくなっている、犠牲者を表しているのでしょう。
ニナがカローラを見て、「あの人はモグラを持っていっちゃうの?」と言っていましたが、これも本作のラストでわかる環境問題のメッセージに対する伏線になっています。
カローラは地元の農薬を扱う会社で働いています。
つまりモグラを持って行っちゃう=大人が農薬で生き物や子供が住めない土地にしていると伝えているのです。
最後のまとめ
Netflix映画『悪夢は苛む』について色々考察してみましたが、それぞれのシーンや事象に対して視聴者それぞれの解釈ができるので、答えは1つではなくたくさんあり、かつ同時に存在するといえるでしょう。
ここまで読んでいただきありがとうございます。『悪夢は苛む』レビュー終わり!