Netflix映画『The Hand of God 神の手が触れた日』は青年が抱える心の葛藤と周囲の人々との交流を、美しいナポリの風景をバックに描いたヒューマンドラマ。
本作はヴェネツィア国際映画祭で審査員大賞&マルチェロ・マストロヤンニ賞を受賞するなど各方面で評価されました。
感想・評価、“神の手”の意味考察、ネタバレあらすじ解説を知りたい人向けに記事をまとめました。
(前半はネタバレなし、後半はネタバレありです)
映画『The Hand of God』キャスト・作品情報
原題:È stata la mano di Dio
監督:パオロ・ソレンティーノ
脚本:パオロ・ソレンティーノ
撮影:ダリア・ダントニオ
主演:フィリッポ・スコッティ
出演:トニ・セルヴィッロ
パオロ・ソレンティーノ監督は映画『グレート・ビューティー追憶のローマ』やショーン・ペン主演の『きっと ここが帰る場所』で有名です。本作はパオロ監督の出身地イタリア・ナポリが舞台となっています。
ネタバレなし感想・見どころ・あらすじ
あらすじ:1986年のイタリア・ナポリ。高校生ファビエットは家族や大勢の親戚に囲まれて賑やかに暮らしていました。ある日、母マリアの妹・パトリツィアから夫フランコに殴られたと連絡が入り、家族3人スクーターで彼女の家に向かいますが…
その場面場面が美しく、詩を読んでいるような感覚になるのが特徴。海外大手レビューサイトの評価もかなり高いですね。
イタリアの青年の人生の一部を垣間見るような素敵な体験ができる一方、明確なストーリーを求める人には不向きでしょう。
おすすめ度 | 70% |
世界観 | 87% |
リアルな人間模様 | 86% |
IMDb(海外レビューサイト) | 7.8(10点中) |
Rotten Tomatoes(海外レビューサイト) | 批評家82% 一般95% |
※以下、映画『The Hand of God』のストーリーネタバレありなので注意してください!
映画『The Hand of God』ネタバレ感想・評価
監督パオロ・ソレンティーノ自身が住んでいた地域を舞台にしており、実体験も多分に混ざっているのでしょう。
ただ映像トーンにしても演出にしても、過去を再構築してノスタルジーを味わう後ろ向きなタイプの映画ではありません。
パオロ監督は自分のためでなく、あくまで視聴者に向けて強烈なメッセージを提示しています。
1980年代当時のイタリア・ナポリの人々の感性や生き様をそのまま突きつけられているようで、カルチャーショックが心地よいです。
それと同時に、自由な時代に自由な気質で生きていたイタリア人ほど幸せな人種はいないのではという気分にさせられます。
親戚が集まると、革命主義の偏屈屋の叔父、頭のおかしい美人の叔母、みんなの席に座らない大叔母、その子供の犯罪者の叔父、などなど、個性の豊かな面々に圧倒されると共に、人間の複雑さ・矛盾を抱える度量や美徳が浮かび上がってくるのです。
ファビエットもタバコの密輸業者から衝動的にボートでカプリ島に連れていってもらったりと、豊かな社会勉強をします。そしてその人物が刑務所に収監されてしまったことで、現実の厳しさや儚さを学んでいるようでした。
グローバル化やネットでの情報共有が進み、ポリティカルコレクトネスが重要視されている現代とはまさに“時代が違う”という感じですね。
過去の方が良かったと一概に言えませんが、少なくとも1986年のナポリでは規範より本当の人間らしさとは何か?という物差しで社会が回っている気がします。
閑話休題。『The Hand of God』はユーモラスも秀逸で、まるまる太った叔母が連れてきた70歳の婚約者が、病気で声帯がないのか電気喉頭(喉に当てて声を出す装置)を使っており非常におしゃべりな様子を親戚一同で見守る様子など、笑ってはいけないシーンで笑わせられました。
障害を持っている人を嘲笑の対象として扱うことは、現代では映像の中であっても許されない場合があるでしょう。
しかし一方で、この老婚約者はぞんざいな扱いにめげず自分の障害などないかの如くすぐに親戚に溶け込んでおり、真に多様性のある社会が示されているのも見て取れます。
初対面や上辺の接し方でなく、その後の継続的な行動の方がより大事だというアイロニカルなメッセージですね。
頭のおかしい美人の叔母が突然ボートで真っ裸になって、それを親戚一同で見守るシーンもインパクト抜群です。
主人公ファビエットの妹・ダニエラがどこへ行っても常にトイレに引きこもっていて、1回も出てこないのも面白いですね。ファビエットがローマに旅立ったとわかりトイレから出てくるシーンには感動を覚えました。
映像による美しい詩の数々で構成されているような本作『The Hand of God』のメッセージを言語化するのはいささか陳腐な気がしますが、現代の息苦しい価値観に揺さぶりをかける点で重要な作品だと感じました。
考察:神の手と古き良きナポリ
神の手というフレーズと、人間の矛盾・成長を組み合わせたコンセプトがアート的な視点で『The Hand of God』が美しかった最大の理由だと感じました。
『The Hand of God』は神の手という意味で、1986年のワールドカップメキシコ大会のイングランド戦でマラドーナが明らかに手でゴールを入れたのに反則にならなかった件を指します。いわゆる神の手ゴールです。
マラドーナは1984年にSSCナポリに移籍します。
『The Hand of God』は当時のサッカーファンの熱狂をリアルに伝えており、主人公のファビエットもマラドーナの大ファンです。
象徴的なのは、ファビエットの両親が別荘で一酸化炭素中毒で死んだ時、ファビエットはマラドーナの試合を見るために自宅に残っていたシーンでしょう。
親戚のおじさんはファビエットが生き残ったのを“神の手”のおかげだ!と目を丸くして言いました。
そして美しい人間模様を切り取ることによって、さらに抽象的な神の手・神の意志が街の人々みんなに確かに介在していると感じられます。
矛盾を抱えた魅力あふれる人々が生きる当時のナポリの街には、確かに神の手が介在していた。パオロ・ソレンティーノ監督はそう伝えたかったのかもしれません。
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