デヴィッド・フィンチャー監督の映画『セブン』を何度目かの鑑賞。
サマセット刑事と真犯人ジョン・ドゥの関係が見えてきたので徹底考察していきます。
↓映画『セブン』のストーリーや七つの大罪の解説記事は下記へ↓
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映画『セブン』考察:サマセットとジョン・ドゥは表裏一体
「サマセットが真犯人だ!」とかそういうトリッキーな考察ではなく、物語において表と裏の存在だということです。
サマセットとミルズの会話、そしてジョン・ドゥの車の中での語りによってサマセットとジョン・ドゥが同じ思想を持っていることがわかります。
それは「世の中は最悪で、普通の人々にも罪がある」というもの。
ジョン・ドゥは七つの大罪をもとにすべての人々が罪を背負っていると示し、車の中で「普通の人々の中にある罪が問題で、それを許し続けることも問題」と語っています。
サマセットも、ミルズとバーで酒を飲みながら「人々の無関心が問題だ」と語っていました。
サマセットとジョン・ドゥは「一部の悪人ではなく、罪は全員にある」と、根本的には同じことを言っているわけです。
終盤、ジョン・ドゥが車の中で普通の人々の罪について語るシーンの途中で、運転をしながら遠くを見つめるサマセットのカットが入ります。
サマセットはジョン・ドゥのやり方に反対こそすれ、思想には共感できる部分があるのでしょう。
サマセットは最悪な世の中は変えられないとあきらめました。
しかし、ジョン・ドゥは実際に行動に移してしまった…という違いはあります。
ジョン・ドゥも図書館で七つの大罪に関する書籍を借りており、サマセットも図書館の常連という共通点もあります。
ラストシーン:ヘミングウェイの言葉の本当の意味
ラストシーンでサマセットはヘミングウェイの「世の中は素晴らしい。戦う価値がある」という文章を引き合いに出し、「後半は賛成だ」と言っています。
つまりサマセットは、世の中は素晴らしくないと思っているわけです。この視点は先ほど述べましtね。
そこではなく、「戦う価値がある」と思っているところが、ポイントだと思いました。
サマセットは最悪な世の中に嫌気がさし、静かに定年を迎えることを受け入れていました。
若い頃のように戦う気力を失っていたわけです。
しかし最後に戦う価値があると表明する意味は一体なんなのでしょうか!?
サマセットが言う「戦う」には2つのパターンがあります。
1つは世の中を守るために戦うということ。
非常に優秀で捜査が好きだったサマセットは、今回ジョン・ドゥが引き起こした事件で捜査への情熱を取り戻したのかもしれません。
2つ目は、世の中を変えるために戦うというもの。
もしかするとサマセットは、最終的に自分が殺されて七つの大罪を世に示す目的を達成したジョン・ドゥに感化されたのかもしれません。
サマセットが世の中を変えるために犯罪に手を染めてしまう可能性もなきにしもあらず。
ミルズのような情熱が打ち砕かれ、ジョン・ドゥの狂気が達成されるさまを間近で見ていたわけですからね。
真偽は不明ですが、いずれにしろ余韻が残る素晴らしいラストシーンだったと思いました。
サマセットが情熱を失った理由
警察署の上司の口ぶりからするに、サマセットは非常に優秀な刑事だったようですが、ミルズと会ったときはすでに捜査に対しての情熱を失っていました。
その理由もサマセットとミルズとバーでの会話から紐解けます。
サマセットはミルズに向かって「ジョン・ドゥを逮捕したら、奴は悪魔でなく人間だとわかる」と言いました。
何を意味するのか少し難しいですが、凄惨な猟奇殺人を犯した人物と一般人の間にそれほど大きな違いがないと知ることになるという意味でしょう。
これには2つのメッセージ↓が込められていると感じました。
- 一般人と殺人犯の間に大きな差がないなら、殺人犯など犯罪者を検挙し続けても新たな犯罪者が生まれるだけで終わりはない。社会も変わらない
- 刑事たちが命懸けで守っている市民も無関心という意味では罪人であり、罪人を守るために罪人を逮捕している皮肉な構図だということ
サマセットは長年犯罪者に触れたことで、犯罪者の持つ普通の部分、一般人が持つ犯罪者的な部分に気がつき、虚無主義におちいってしまったのでしょう。
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