映画『死刑にいたる病』考察ネタバレ,最後の灯里,爪は綺麗でしたか?タイトルの意味,榛村の目的を解説

  • 2024年2月3日
シネマグ
阿部サダヲ主演の映画『死刑にいたる病』の徹底考察レビュー&解説+感想の記事です。

映画『死刑にいたる病』考察ネタバレ

ラストシーン:最後の女・灯里の行動を解説

映画『死刑にいたる病』で最後に出てくる女・灯里

榛村はなぜ主人公の雅也に手紙を書いて面会に来させ、9件目の立件の冤罪を証明してくれと頼んだのでしょうか?

シネマグ
これは榛村の目的が殺人鬼の後継者を作ることだったからでしょう。

元獲物である雅也と灯里に手紙を出してそれぞれ面会に来させ、洗脳していったのだと思われます。

雅也は後継者にはなりませんでした。

しかし雅也の恋人・灯里は完全に洗脳されていたようです。

後継者に選ばれたのは灯里だと考えられるでしょう。

  • 雅也は後継者の灯里に洗脳されるのか?
  • もしくは証拠隠滅のために灯里に殺されるのか?

灯里は最後に「わかってくれるよね?」と雅也に問いかけます。

感想を語る犬
雅也が首を縦にふらなかった場合、殺害するのかもしれません

余韻が残る不穏なラストでした。

いつもと違う方法で根津かおるを殺した理由

根津かおるを殺した理由は、金山一輝(幼い頃に弟と競わせて彫刻刀で刺し合わせた)に罪の意識を背負わせるためです。

金山は榛村に「また遊ぼう」と言い寄られ、根津かおるを身代わりの犠牲者として選択することを半ば強要されました。

根津かおるだけは殺害時に爪を剥がされませんでした。

もしかするとこの頃から後継者をつくろうと考えており、元獲物に推理させるために違うパターンで殺害したのかもしれません。

「お母さんの爪は綺麗でしたか?」の意味

雅也は面会の最後に榛村に「榛村さんのお母さんの爪は綺麗でしたか?」と聞きます。

榛村は「僕が小さい頃は」と答えて去っていきました。

ここから、榛村が被害者の爪をはいで収集した理由が見えてきます。

幼少期の榛村は母・実葉子から愛情を受けており、そのときは人間らしい感情を持っていたのでしょう。

その後、義父たちからの虐待から母が守ってくれなかったことで、「母の爪が綺麗でなくなった」と思っているわけです。

母からの愛の象徴=綺麗な爪。爪は愛のメタファーなんですね。

榛村にはこれが強烈にインプットされています。

愛の象徴を求めた榛村は、被害者をいたぶった際に爪を収集するようになりました。

榛村は被害者から綺麗な爪を剥ぎ取ることで、幼少期に母の愛を受けるような満たされた感情を覚えたのでしょう。

シネマグ
雅也はが「爪は綺麗でしたか?」と聞いたのは、榛村が殺人を犯す本質的な理由に興味が湧いたからでしょう。

タイトル:死刑にいたる病とは?

殺人を犯さないと生きていけないことが「死刑にいたる病」なのでしょうか。

それはどちらかというと「殺人の衝動を抑えられない病気」であり、「死刑にいたる病」ではない気がします。

榛村は人々について「不用心でバカバカしい」と言っていました。世の中のことを「どうでも良い」と思っていたのでしょう。

彼は幼い頃に虐待を受け、壊れた心を埋めるために殺人を犯していたのかもしれません。

しかし、それでも心の穴は埋まらず、「ついには殺人にすら飽きた」ようでもあります。

殺人にすら飽きたことが「死刑にいたる病」の発端なのではないでしょうか。

その段階から自分の死に興味が湧き、捕まって死刑されることを望んだのかもしれません。

しかし実際は、殺人では満たされなくなって人生がどうでも良くなり、自らを故意に油断させて半ばわざと捕まったような気もします。

逃げた子を探さなかったのは自分の人生に興味がないからです。

雅也との最後の面会で、榛村が殺人を犯しながら生きていくのに耐えられなくなったような寂しげな表情の回想シーンのあとに「(小屋を燃やして爪を川に捨てたのは)別れの儀式のようなものだったかも…」と言っていました。

映画『死刑にいたる病』阿部サダヲの別れの儀式

先程の考察と組み合わせると、爪を川に捨てたのは母の思い出との決別とも捉えられます。

榛村は自分が完全に壊れており、もはや母の愛や他人の愛を得られないと悟って、すべてがどうでも良くなったのでしょう。

母との絆を完全に捨て去ること=自分の命すらどうでもよくなること=死刑にいたる病です。

結論としては、「死刑にいたる病」とは(虐待で壊れた心と自尊心の低さによって)母から注がれたような愛を得ることは不可能だと知り、自分の人生を終わらせたい願望

そこから後継者を作って殺人の病を世間に広める目的が付随したように思います。

シネマグ
死刑囚・榛村は拘置所の中から社会全体に死刑宣告をしたようですね。

また、榛村は虐待の被害者だったかもしれませんが、自分の人生を含めてゲームを楽しんでいるかのようであり、完全悪の存在です。

殺人にも飽きてすべてを終わらせたい「死刑にいたる病」が、「殺人鬼の後継者を社会に残してみたい」という最後の欲望を生み出してしまったように感じました。

加納灯里がOL殺しの真犯人?

冤罪が主張されたOL・根津かおる殺人事件の真犯人が雅也の恋人・灯里だという説もあるようです。

灯里は榛村の元獲物であり、後継者的な存在であることはわかりますが、根津かおるの殺害をほのめかすようなシーンや、確証できる場面はありません

まず、当時中学生だった灯里が根津かおるを殺すのは極めて難しいでしょう。

榛村の指導のもとに灯里が殺した可能性も考えられますが、推測の域を出ません。

そこまで範囲を広げるなら、同じく榛村から洗脳されていたであろう雅也の母・衿子(えりこ/中山美穂)が根津かおる殺しに関わっている可能性も出てきます。

(前提として榛村の供述や回想の真偽は不明なので、登場人物のだれにでも真犯人の可能性があるといえばあります)

灯里が真犯人の可能性は低い」というのが私の結論です。

よって雅也の推理通り、榛村が自分で根津かおるを殺害した可能性が高いとなります。

逃げた子はだれ?

拷問される燻製小屋から逃げ出した子は灯里だという解説があるようです。

しかし恋人の灯里に拷問の跡などがあれば雅也が気づくはずなので、灯里ではない別の人物でしょう。

だれかは作品内で確定できないです。

雅也の母も洗脳されていた

榛村に洗脳されていた人物かどうか見分けるポイントは、自分で決断できなくなっていることです。

少年期に榛村から虐待を受けた金山は自分で何も決められない人物でした。

雅也の母・衿子もそうです。映画でも「自分で決められない」と雅也に何度か言ってましたね。

衿子は榛村に洗脳されていたのでしょう。

榛村が「衿子が出産して死産だったから赤ちゃんの死体を燃やした」と言っていました。

死産すらも本当かわかりませんし、衿子は赤ちゃんが生きていると知っていて榛村に委ねたパターンもあります。

榛村と衿子の関係はよく考えると怖いです。

映画『死刑にいたる病』ネタバレ解説

榛村大和の元ネタ:ジョン・ゲイシー

テッド・バンディやジョン・ゲイシーらアメリカの連続殺人鬼が死刑囚・榛村大和の元ネタだと思いますが、個人的にはジョン・ゲイシーに近い気がします。

ジョン・ゲイシーは1970年代に33名の少年に性的暴行を加えて殺害し、キラー・クラウン(殺人ピエロ)と呼ばれています。

起業家で地元の名士だったゲイシーは、パーティーなどでピエロの格好をすることが多く、子どもたちから人気があったそうです。

感想を語る犬
人気があるという部分が榛村と共通ですね。

生まれながらに心臓に疾患を抱えていたゲイシーは幼少期に実父から見放されて虐待を受け、実父の友人から性的虐待を受けます。

実父から見限られる部分は、顔にアザがあり父から虐待された金山一輝と共通しています。

くわえて、拘置所での面会で雅也や灯里たちを操る点は『羊たちの沈黙』(1991)のハンニバル・レクター博士のようです。

実在したシリアルキラー×ハンニバル・レクター=榛村大和 という印象でした。

死刑にいたる病の榛村大和と雅也

信頼できない語り手

映画『死刑にいたる病』ではサスペンス・ミステリーでよくある「信頼できない語り手」という手法が使われています。

「信頼できない語り手」は簡単にいうと登場人物から視聴者に提供される情報が正しいか間違っているかわからないということで、

映画だと『ユージュアル・サスペクツ』(1995)『ジョーカー』(2019)などが典型的な例です。

『死刑にいたる病』では、阿部サダヲ演じる榛村大和が雅也に対して語る話のどこまでが本当でどこからが嘘かあやふやな状態です。

この「信頼できない語り手」の手法によって話にフワッとした部分ができ、「灯里がOLの根津かおるを殺害した犯人かもしれない!」など推測の余地が広がります。

推測の余地は広がりますが、そもそも供述の真偽が不明なので正確な答えは出ません。

映画『死刑にいたる病』ネタバレ感想・評価

阿部サダヲの死刑囚のキャラクターが秀逸

阿部サダヲが演じる榛村大和のキャラクターが強烈でしたね。

愛嬌と狂気が見事に共存していました。

セリフも秀逸です。

(英語を勉強する少女に)「英語、難しいよね〜」とか、主人公に「すごいね〜」とか、ペラッペラで中身がないんですよね。

セリフの数々から、榛村大和がまったく共感能力のないサイコパスだと伝わってきます。

映画の榛村大和は、単なる虐待被害者というだけでは片付けられない凶悪犯です。

確かに父親からの虐待は榛村が連続殺人鬼になる要因にはなったかもしれませんが、残酷な方法で多数を殺害し、高い洗脳能力まである榛村は“虐待の被害者”のカテゴリーにおさまりきりません

シネマグ
虐待の被害者が加害者になる不条理だけでは説明のつかない闇があります。

ハンニバル・レクター博士のキャラのような映画的な面白さがあり、エンタメとしてわかりやすくした結果ともいえます。

榛村のボランティア時代の同僚・滝内(音尾琢真)が雅也に「虐待を受けた子どもが問題行動を取ることも多い」と語っていましたが、これは榛村をかばっているような発言とも捉えられます。

ある面で滝内も榛村に洗脳されていたのでしょう。

まったく他人に共感してないセリフ+マインドコントロール能力。

人間性が1mmもありません。人間失格です。

映画の榛村大和を語るうえで虐待の問題はもちろん重要ですが、そもそも非人間的な部分も大きいです。

虐待の問題だけでくくってしまうと本質をつかめない二重性があると思いました。

川に桜の花びらかと思いきや爪

オープニングで榛村は川に桜の花びらをまいています。

美しい映像だなと思いきや、話が進むとまいていたのは花びらでなく人間の爪だとわかります。

見事に騙されました。

確かに人間の爪って桜の花びらに見えるかも…すごい演出ですね。

この映像面での裏切りが、『死刑にいたる病』が傑作である証明だと思います。

映画『死刑にいたる病』作品情報

公開:2022年5月6日
制作国:日本
上映時間:2時間9分
ジャンルサスペンス・ミステリー
年齢制限:PG12
監督:白石和彌(『孤狼の血』『凶悪』『仮面ライダーBLACK SUN』)
脚本高田亮(『ボクたちはみんな大人になれなかった』『グッバイ・クルエル・ワールド』)
原作:櫛木理宇の小説「死刑にいたる病」(2017)
撮影:池田直矢
音楽:大間々昂
興行収入:約11億円
キャスト
阿部サダヲ(『不適切にもほどがある!』)
岡田健史
宮﨑優
岩田剛典
中山美穂
鈴木卓爾
佐藤玲
赤ペン瀧川
大下ヒロト
吉澤健
音尾琢真