韓国映画『サバハ』(Svaha: The Sixth Finger)。邪悪な存在と新興宗教の闇がクロスする見応え抜群のサスペンスです!
Netflix『イカゲーム』のイ ジョンジェが主演。
ストーリーの流れ、ラストの意味、6本指の理由、日本への恨み?日本人・田中泯の出演理由などを、なるべくわかりやすく考察&解説していきます。
映画『サバハ』ネタバレあらすじ解説
映画『サバハ』はストーリーが結構入り組んでいましたね。意味がわからない箇所もあったかと思いますので、なるべくわかりやすく解説していきたいと思います。
まず大枠のストーリーをサクッと説明します↓
- 女子中学生・グムファには人間とは思えない双子の姉(邪悪な存在)がいる
- 主人公パク・ウンジェ牧師があやしい新興宗教「鹿野苑(ろくやおん)」を調査
- 鹿野苑の関係者チョン・ナハンらが女子中学生の殺害の実行犯だと判明
- 鹿野苑の創始者キム・ジェソクはチベットの高僧から「お前が生まれた100年後に、お前を殺す者(蛇)が生まれる」と死を予言され、蛇の可能性のある1999年生まれの女子をナハンたちに殺させていた
- ナハンがジェソクだと崇めていた老衰間近の人物は偽モノ。本物のジェソクは看病していた男性だと判明
- グムファの双子の姉の啓示を受けたナハンがジェソクを焼殺
弥勒菩薩の化身であり不老不死のキム・ジェソクが、自分の命を守るために弟子たちに何十名もの女子中学生を殺させていた。
しかしラストで全てが逆転。邪悪な存在かと思われたグムファの姉(それ)のほうが菩薩様だったというストーリーです。
表面的にはこんな感じの宗教サスペンスになります。
映画『サバハ』考察
ラストの本当の意味
邪悪さの象徴として描かれたグムファの姉(それ)のほうが菩薩(仏の次の位)であり、稀代の宗教指導者と思われたキム・ジェソクが邪悪な存在だったという逆転劇でした。
ただ本当の意味はもう1段深いところにあると思います。
終盤で菩薩と化したグムファの姉の「地は天となり、天は地となる」というセリフが鍵です。
実際は、グムファの姉が菩薩様でキム・ジェソクが悪だという単純な構図ではないと考えます。
- キム・ジェソクは本物の聖人だったが邪悪になった
- グムファの姉は邪悪だったが、聖人になった
「地は天となり、天は地となる」のセリフは役割の逆転を表しているのでしょう。
ジェソクもグムファの姉も指が6本であり、表裏一体の存在にも見えます。
グムファの姉は毛むくじゃらで鳥を大量に殺すなどしていましたが、途中から毛が抜けて聖人の容姿になります。
邪悪な存在から聖人に変貌したのでしょう。
諸法無我(しょほうむが/すべての事物は因縁によって生じる。不変の「我」は存在しない)の考え方も含まれているのでしょう。
つまり、不死の肉体を得て自分という存在に固執してしまったジェソク自身が、表裏一体の存在によって対消滅したお話なのです。
6本指の意味①:豊臣秀吉
天下人・豊臣秀吉は16世紀末に「文禄・慶長の役」、いわゆる朝鮮出兵と呼ばれる戦争を仕掛けました。
韓国では壬辰戦争と呼ばれ、数万人が虐殺されたと言われています。
豊臣秀吉は韓国にとって許せない存在なわけです。
そしてこの秀吉には、なんと指が6本あったという言い伝えがあります。
劇中でキム・ジェソクについて親日で日本と関係があったこと、さらに仏教は日本に伝わって肉体を超越する間違った思想に変化してしまったことが言及されていました。
そう考えると、「韓国に入り込んだ日本の間違った思想を浄化する」テーマがありそうです(日本人としては複雑ですが)。
6本指の意味②:仏教の六道
ジェソクやグムファの姉の指が6本だったことについては、如意輪観音の六臂(6本の腕)を指に置き換えているとも考えられます。
江戸時代に各地で木彫りの仏像を残した修験僧・円空が、6本指の如意輪観音仏像を残しており、これがモチーフになっているのかもしれません。
如意輪観音の六臂(6本の腕)はそれぞれ↓
- 天道(てんどう)
- 人間道(にんげんどう)
- 修羅道(しゅらどう)
- 畜生道(ちくしょうどう)
- 餓鬼道(がきどう)
- 地獄道(じごくどう)
を表していると言われています。輪廻転生(生まれ変わる)する6つの世界のことです。
ジェソクは現世では天道レベルの聖人でしたが、来世は因果応報によって地獄道に落ちるのではないでしょうか?
チベット僧役の日本人・田中泯を出した理由
キム・ジェソクに「お前が生まれてから100年後にお前を殺す蛇が生まれる」と予言をしたのは田中泯さん演じるチベット高僧・ネチュンテンパです。
その予言を聞いたジェソクは新興宗教を作り、ナハンたちに1999年生まれの女子に邪悪な存在がいるとして何人も殺させました。
つまりジェソクの悪事のキッカケはネチュンテンパとも考えられます。
邪推ですが、ネチュンテンパのキャストを日本人にすることで、社会にさまざまな歪み(ひずみ)を作り出したのは日本人だという恨み節を込めているのかもしれません。
神がいることを悟った牧師
本作『サバハ』の大きな特徴は、メインが仏教の話なのに主人公がキリスト教の牧師なこと(エホバ?)。
イ・ジョンジェ演じるパク・ウンジェ牧師は信仰に熱心には見えませんでした。
しかし超常的なジェソクたちの存在を知り、最後には神がいると信仰を取り戻したのでしょう。
ウンジェ牧師は部下のヨセフに「アフリカ大陸に伝道活動に行った友人が家族を殺されて1人で帰ってきた」と話していました。
これはウンジェ自身の話かもしれません。
ウンジェ牧師は金のために新興宗教の闇をあばいていましたが、心の奥底では本当に神秘的な力を目の当たりにして信仰を復活させたいと願っていたのでしょう。
仏教徒の争いによってキリスト教徒の信仰が復活するトリッキーかつディープな話です。
宗教の融合のようなテーマが垣間見えました。
劇中では蛇が悪のように語られていましたが、仏教では悪しき存在ではありません。いっぽうでキリスト教では蛇はイヴをそそのかした邪悪の象徴です。
2つの宗教における蛇の役割の違いからも、仏教とキリスト教の横の繋がりが感じられます。
タイトル『娑婆訶(サバハ)』の意味
娑婆訶(サバハ)は梵語(サンスクリット語)の呪文の一部で「成就」を意味するようです。
とすると、最後に花火が上がるシーンがあったのも仏教的になにかが成し遂げられた意味があったのでしょう。
韓国映画と宗教
映画『サバハ』にはナ・ホンジン監督の『哭声/コクソン』や『女神の継承』と通底するテーマがあると思いました。
仏教やキリスト教だけでなく、宗教の信者にとって考えうる最悪の恐怖は「信じている神や聖人が偽物だったら…」というものでしょう。
それが『哭声/コクソン』や『女神の継承』、そして『サバハ』の根本にあるものです。
『哭声/コクソン』ではその疑い自体がタブーであると語られています。
『サバハ』では、神や聖人も常に同じではなく、流転(移り変わる)ものだと示唆されていました。
それが聖人だったはずのジェソクが悪に、鳥を殺すような邪悪として描かれていたグムファの姉が善に変化することで体現されていました。
韓国では日本よりもキリスト教徒の割合が多く、巫堂(ムーダン)など土着の宗教もあります。だから宗教についての深い洞察がある映画が作られるのでしょう。
映画『サバハ』は一般受けする作品かはわかりませんが、メッセージが何層にもなっている興味深い良作であったことは確かでしょう。