映画『エレファントマン』ネタバレ考察!ラスト感想,あらすじ評価解説

  • 2022年4月23日

デヴィッド・リンチ監督の映画『エレファントマン』で伝えられた表層的な複数のテーマを考察・解説すると共に、リンチ監督が何を言いたかったかさらに突っ込んでエレファントマンを深掘りしてみる。

分かりやすい面も、深い面も持つこの映画のメッセージは何か、一緒に考えてみよう!

 

映画『エレファントマン』ネタバレ考察:誰よりも醜い者が一番純粋

醜いエレファントマンは人の心を持ち、人の姿をした大衆の心は非常に醜い。これは物凄いアイロニー(皮肉)ではないだろうか?

酷い外見で、想像もつかない人生を歩み、一番純粋さを失いそうなエレファントマンがそれを持ち続け、逆に大衆はそれを失っている。

見かけは普通の人の姿をしているが、心が醜いのが人間なのか?

異形ながら、純粋な心を持つエレファントマンが真の人間なのか?

混迷を極める19世紀のイングランドにエレファントマンという一石が投じられたことにより、真の人間らしさは何か?というのが浮き彫りになる。これが作品の一つのテーマになっている。

 

しかし、映画エレファントマンの面白いところは、エレファントマンの人間らしさを強調しながらも、彼は人間だ!というのが最も大きなメッセージにはなっていないことである。

嘘から出た友情/ネタバレ解説

エレファントマン(ジョン・ハート)に興味を持った外科医のフレデリック・トリーブス(アンソニー・ホプキンス)は、当初彼の症例に非常に興味を持ち、学会で発表して名声を得ることが目的だった。

しかし、彼が知性と品性を持ち合わせていることがわかり、交流しているうちに、彼を見世物にしていた興行主のバイツや、病院関係者に怒りをぶつけるようになり、エレファントマンとの真の友情を育むことができた。

女優のケンドール夫人に関しても、興味で会いに行き

きっかけや動機はなんであれ、外見や境遇がどうであれ、友情という芽は育つ。

エレファントマンにはそんなメッセージが込められているように思える。

エレファントマンのトレーブス

人の愚かさを受け入れるエレファントマン

エレファントマンに化粧箱をプレゼントする人々は愚かか?偽善そのものではないか?

化粧箱を嬉しがるエレファントマンは愚かか?

冷たい物言いをすれば、化粧をしてもどうしようもならないエレファントマンが(この考え方が、エレファントマンで描かれた愚かな大衆そのものかもしれないが)プレゼントされた化粧箱を宝物のように喜ぶシーンは滑稽に見える。滑稽に見えるからこそ、考えさせられる。

化粧をするエレファントマンを、周りの人はどう思っただろうか?

そして彼は、周りがどう思っているか想像はしなかったのだろうか?

例え彼が周りの見えない”愚か”な面を持っていたとしても、他人の行為を素直に受け止めることは、人が生きるために必要な、崇高ともいえる愚かさだといえるだろう。

心の広さ、器の大きさとは、愚かさを伴ったものなのかもしれない。

エレファントマン考察/スパイク君の21年後

デヴィッド・リンチ監督がエレファントマンの前に製作した映画がかの有名なカルト映画「イレイザーヘッド」、そう考えると異形という部分でイレイザーヘッドのスパイク君とエレファントマンのジョンが重なる。

もしかして、デヴィッド・リンチはスパイク君の21年後としてエレファントマンを描いていたのではないか?

異形のスパイク君がもし生き続けたなら、異形のエレファントマンになっていたかもしれない。そして、苦難の日々を過ごしながらも最後には人に愛されるような存在になったかもしれない。そんなデヴィッド・リンチ監督の愛を感じずにはいられない。

それが全てでないにしろ、側面はあるだろう。

絵画としての『エレファントマン』

エレファントマンという映画は絵画である。

これは誰もが頷く事実だろう。隔離病棟の一室、外科医トリーブスの家で写真を眺めるエレファントマン、見世物小屋の小人に連れられて夜の道を行くシーン。

空間の中心に異形の者がいると、それだけでアート的な絵画に見える。

もちろん、デヴィッド・リンチ監督はもともと画家志望で、シュールレアリズムから多大な影響を受けたことを鑑みれば不思議ではない。

それにしても、エレファントマンを主役とした、極めてアート的なカットの数々に目を奪われる。

エレファントマンは絵画として、テーマを持った”美”として楽しむことができるのだ。

感想・評価まとめ:エレファントマンは神

これまでは、エレファントマンの表層的なテーマを扱ってきたが、もう少し踏み込んでメッセージを深掘りしてみよう。

というのも、エレファントマンは分かりやすいような主題ばかりでなく、もっと奥に隠されたテーマがあるような気がしてならないからだ。

考えてたどり着いた答えは、彼を支える神がいるというメッセージ。

イレイザーヘッドでそうであったように、デヴィッド・リンチ作品では工場の作業員のような人物が、神という存在の暗喩として出てくる。

そして、エレファントマンでも、彼のマントを覗き込むシーンから、工場で複数の人物が一生懸命に作業するシーンに移る部分があるのだが、これは彼を一生懸命支える神がいるということではないか。

イレイザーヘッドの冒頭では、肌にゴツゴツした突起がある人物が”神”として描かれている。そう考えれば、エレファントマンではエレファントマン自身が、人の世に降り立った神そのものなのかもしれない。

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