メキシコ映画『ザ・マミー』は、ギャングの抗争で親を失った子供たちが結託して生き延びる物語。
社会派メッセージとファンタジーとホラーが融合した個性的な作品でした。
視聴後の感想・評価レビュー、ラストやトラの意味、霊の理由などを深掘り考察しています!
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映画『ザ・マミー』作品情報・予告
制作国:メキシコ
上映時間:93分
原題:『Vuelven』英題:『Tigers are not afraid』
ジャンル:社会派ヒューマンドラマ・ファンタジー・ホラー
監督・脚本:イッサ・ロペス
キャスト:パオラ・ララ(エストレア役)、ホアン・ラモン・ロペス(シャイネ役)
公開当時は世界中の賞を総なめにしたそうです。
ただ、ホラーのジャンルで分類するのはどうなのか?
宣伝と本編の雰囲気がかなり違います。
映画『ザ・マミー』あらすじ
2006年の麻薬戦争により、メキシコでは何万人もの民間人が犠牲になっていた。
両親がギャングに殺されたストリートチルドレンたちが、廃墟で肩を寄せ合って暮らしている。
少女・エストレヤは、何日も帰ってこない母親が黒い影のような異形の姿で現れたことに驚いて家を飛び出す。
エストレヤはシャイネという少年がまとめるグループで暮らすことになった。
シャイネは有名ギャングのカコが酔っ払っているときに彼の銃と携帯を奪う。
シャイネは自分たちの安全を確保するために、エストレヤに「カコを殺せ」と言うのだが…。
映画『ザ・マミー』ネタバレ感想・評価
メキシコの麻薬戦争で社会が機能しなくなり、貧困家庭の大人たちはギャングに襲われて殺され、残された子供たちはどう生き延びていくのか?という非常にシリアスな物語。
少女・エストレヤは殺された母の亡霊と、トラの物語にささえられて自らの身を守り、復讐をなしとげます。
メキシコの社会問題で苦しむ人々の悲しみに少女が亡霊に導かれるように復讐を果たすことでレクイエムを捧げる、社会派かつ芸術的なテイスト。世界的に評価されるのもうなづけます。
少女が復讐を果たす!というわかりやすい復讐譚ではなく、母親が殺されて孤独になった少女が意図せず復讐に導かれていくようなコンセプトにより、ストーリーの背景から社会全体の闇や怨みがグワっと浮かびあがってくるのです。
小学生くらいの女の子がファンタジーとシリアスな現実に引き裂かれる内容は、巨匠ギレルモ・デル・トロ監督の『パンズ・ラビリンス』(2006)に非常に近いと感じました。
あとは子供も巻き込んだギャングの抗争は『シティ・オブ・ゴッド』(2002)にも通じますね。
廃墟の水たまりに金魚や鯉が泳いでいたり、少年が廃墟にそそぎこむ雨水の下で傘を持って踊っていたりと、印象的なシーンも盛りだくさんでした。
メキシコ映画ってギレルモ・デル・トロ監督作品や、『触手』(2016)なんかもそうですけど、抽象的なストーリーがわりと多いのかな?とも思いました。
メキシコだけでなく、スペイン語圏全体かも。少し前にみたアルゼンチンの映画『悪夢は苛む』(Netflix 2021)もすごく抽象的な内容でしたし。
ともかく、わかりやすいストーリーが好まれる昨今の邦画とは一線を画す芸術的なコンセプトは大切にするべきでしょう。
唯一の不満点は「ママが殺しにくる!」と言う宣伝文句。
序盤からママの幽霊はエストレヤを殺しにきてるわけでないのは明らかです。
映画『ザ・マミー』考察(ネタバレ)
ラスト結末:幻覚の意味
終盤で、ママの幽霊がエストレヤに、「自分を殺害した男・チノを、自分たちの死体がある場所に呼び出して」とささやきます。
エストレヤはその場所を知らないのでどうしていいかわからないのですが、チノが「犯罪証拠が入っているスマホを引き渡してくれ」と指定してきた廃墟の一室がその場所でした。
チノから逃げるエストレヤは母や大勢の民間人の死体を見つけ、チノをそこに閉じ込めます。
死んだはずのシャイネが火をつけ、メタンガスが燃えてチノは死亡しました。
母親やシャイネは幽霊というより、エストレヤが自分のトラウマを封じ込めるために作り出した幻覚だと思います。
鳥のブレスレットもエストレヤが自分で母の死体から外して着けたのでしょう。
なぜ幻覚を作り出したのかというと、エストレヤが自分の意思でチノを殺してしまうと復讐の負の連鎖が続いてしまうからだと思います。
エストレヤ自身が復讐者になってしまうことを避けるために、幻覚を見ていると自身を自己防衛的に騙したのでしょう。
ラストシーンでエストレヤは鉄の扉を開けて草原を歩いていましたが、これは復讐の連鎖から脱出し、最悪な状態にあるメキシコ社会から抜け出せるという希望を暗示したメタファーとしての表現だと思いました。
子供にとっての物語の重要性
エストレヤは自分1人ではギャングと戦える力があるとは思っておらず、実際にありません。
しかし自分自身が考えたトラの物語や、自分で作り出した母の物語に導かれて身を守ります。
(冒頭の学校の授業でエストレヤは自分の物語を作れと言われ、トラになりたい王子の話を考えてました)
本作は子供にとって物語がどれほど重要かを示した点でも意義深い作品だと思います。
エストレヤは自らが作り出した物語に入り込み、最悪な状況を脱することができました。物語なしでは不可能だったでしょう。
トラの意味
トラは強い者、戦う者の象徴です。エストレヤが最終的にトラのような存在になったという意味でしょう。
トラはラストで出てきますが、これも実際にいたというよりエストレヤが作り出したものといったほうが近い気がします。
エストレヤは冒頭で「トラになりたい王子がいた。しかしなれなかった」という物語を書いていました。
シャイネは仲間たちに「ギャングに襲われた場所でトラだけが生きのびて、街で子供を食っている」という話をしていました。
エストレヤの物語の王子は、ギャングと戦って死んでしまったシャイネと重なります。
シャイネの物語のトラは、生きのびたエストレヤを指しているのでしょう。
「子供を食っている」は、エストレヤのせいでシャイネや仲間たちが死んでしまった暗示だと感じました。
黒い竜の意味
エストレヤのまわりに黒い竜が付きまとっていました。
黒い竜は大量殺人犯であるチノのスマホから飛び出してきたものです。
スマホにはエストレヤの母がチノに殴られて殺される動画が入っていました。
確定はできませんが黒い竜はチノをおびきよせるサポート役を果たしたのだと思います。
古代メキシコ・アステカ文明にケツァルコアトルという平和の神・叡智の神が蛇や竜のような形をしていました。
ケツァルコアトルは最後鳥になって消えていったという逸話もあります。
黒い竜が鳥の属性も持つケツァルコアトル的な存在であるなら、エストレヤの母が手首にしていたブレスレットの鳥が竜に変化したのかもしれませんね。