新海誠監督の新作『すずめの戸締り』も公開されるので、映画『天気の子』(2019)を見てみました。美しいメッセージがありながら、賛否両論で結末に否定的な意見が多いのもうなづける作品でした。
記事では『天気の子』の忖度ゼロのぶっちゃけ感想・酷評ポイント、ネタバレありの考察をまとめています!
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『天気の子』ネタバレ感想と評価
主人公・帆高に共感できない
賛否両論の理由
結論づけるなら帆高が感情移入できない主人公であり、そんな彼が東京水没を選択したから否定的な意見が多く出たのでしょう。
セカイ系だからというより、心理的に視聴者との距離がある人物が好き勝手したから「なんか嫌だコイツ」となってしまったわけです。
またストーリーがフワッとし過ぎているという意味では、同じく川村元気さんプロデュースのアニメ映画『バブル』(2022)に近いがっかり感があったのも事実です。
映画って難しいですね。
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『天気の子』考察(ネタバレ)
東京を犠牲にして陽菜を救った?
『天気の子』の結末を否定している人の多くが「帆高が東京を犠牲にして陽菜を救ったことが受け入れられない」という理由をあげています。
陽菜の命と東京が天秤にかけられたと受け取ってしまったわけです。
個人的にはラスト結末は天秤の問題というより、どんな選択も個人に委ねられている美徳を表現していたように思えました。
つまり大多数の人に支持されない価値観を持ってもいいという美徳です。
ただ『天気の子』に関しては、3年間雨が降り続いて東京水没というあまりにも大きな代償なので引っかかってしまった人も多いのでしょう。
天秤が極端すぎることに加え、帆高にもいまいち感情移入できないので「犠牲がいくらなんでも引き合わない…」となってしまったのだと思います。
少し現実的に考えてしまえば、雨が降り続く土地に住むことはできません。洪水や土砂災害で何万人も命を落とすでしょう。
「地形が元に戻った」と呑気に言えるのはあのおばあちゃんくらいです。
代償があまりにも大きいので、須賀が中盤で言っていたように「1人を犠牲にして東京が助かるならそれも仕方ないのでは」の考え方のほうが説得力を持ってしまうような見え方でした。
本来は特定の個人より全体の幸福を優先する功利主義ではなく、個人の尊厳が大切では!?という前向きな問題提起だったはずです。
ちなみに新海誠監督の次作『すずめの戸締り』では犠牲のテーマはありつつも、より万人受けする形になっています。
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死んだ須賀の妻も晴れ女?
須賀の妻が晴れ女だったという考察もあるようです。
とても面白いと思うのですが個人的にはそういう話じゃないと感じたので反論を書いておきます。
まずキャラクターとして須賀が、ヒロインを救えなかった世界線の未来の帆高と重なる存在だというのは正しいと思います。
須賀は何らか大人の決断をしてしまったため、最愛の妻が死んでしまった可能性はあるでしょう(難産になり妻の願いで娘を優先させるなど)。
しかし、もし仮に死んだ妻が晴れ女だったなら晴れ女で商売をしようとしていた帆高を真っ先に止めるはずですし、陽菜の存在にもっと動揺するはずです。
「エンタメと割り切って提供する」とかオカルトをまったく信じていない発言も出ないでしょう。
最初から雨が好きだった帆高
冒頭で島から家出してきた帆高は、船の甲板で雨にふられてはしゃぎます。
帆高は最初から雨が好きだったのでしょう。
つまり雨が降り続く世界を選ぶ結末の伏線です。
ラストでは雨が降り続くけど陽菜と一緒にいられる世界線を選択します。
「雨が好きな人間がいてもいいじゃないか」
そんな抽象的かつ前向きなメッセージが込められているのだと思いました。
社会の現実を突きつける人柱
映画『天気の子』で何度も出てきた“人柱”というワード。
この言葉は社会の現実を突きつけていた気がします。
日本に限らず世界のどこでも、社会は誰かの犠牲のうえに成り立っています。
例えば日本が戦後に高度経済成長できたのも会社に人生を捧げるサラリーマンという人柱が無数にいたからかもしれません。
日本で美味しくて安いチョコレートが食べられるのも、ガーナの少年少女たちがカカオ栽培で長時間の危険労働をしているおかげだったりします。
『天気の子』ではファンタジー要素を絡め、陽菜の命で東京が救われるとしていました。
陽菜は社会で犠牲になる人々の象徴なのです。
犠牲になる人から目を背けない!というのが『天気の子』の大きなテーマだと思いました。
さらに、本作のユニークかつ残酷なところは犠牲がなければ社会は消えてなくなると提示したことだと思います。
今の日本の生活も“人柱”たる存在なしには成立しません。
自分たちの生活が陽菜のような人柱のうえに成り立っていると再認識させられ、屠殺場の牛の存在をはじめて知ったような、嫌な現実を突きつけられたようで賛否両論になった側面もあると思いました。