最後の女・灯里の行動、死刑囚・榛村の真の目的
「お母さんの爪は綺麗でしたか?」の意味
タイトル「死刑にいたる病」とは?
加納灯里がOL殺しの真犯人なのか
逃げた子はだれ?
これらの情報や解説・感想をまとめました!
映画『死刑にいたる病』考察ネタバレ
ラストシーン:最後の女・灯里の行動を解説
榛村はなぜ主人公の雅也に手紙を書いて面会に来させ、9件目の立件の冤罪を証明してくれと頼んだのでしょうか?
元獲物である雅也と灯里に手紙を出してそれぞれ面会に来させ、洗脳していったのだと思われます。
雅也は後継者にはなりませんでした。
しかし雅也の恋人・灯里は完全に洗脳されていたようです。
後継者に選ばれたのは灯里だと考えられるでしょう。
- 雅也は後継者の灯里に洗脳されるのか?
- もしくは証拠隠滅のために灯里に殺されるのか?
灯里は最後に「わかってくれるよね?」と雅也に問いかけます。
余韻が残る不穏なラストでした。
いつもと違う方法で根津かおるを殺した理由
根津かおるを殺した理由は、金山一輝(幼い頃に弟と競わせて彫刻刀で刺し合わせた)に罪の意識を背負わせるためです。
金山は榛村に「また遊ぼう」と言い寄られ、根津かおるを身代わりの犠牲者として選択することを半ば強要されました。
根津かおるだけは殺害時に爪を剥がされませんでした。
もしかするとこの頃から後継者をつくろうと考えており、元獲物に推理させるために違うパターンで殺害したのかもしれません。
「お母さんの爪は綺麗でしたか?」の意味
雅也は面会の最後に榛村に「榛村さんのお母さんの爪は綺麗でしたか?」と聞きます。
榛村は「僕が小さい頃は」と答えて去っていきました。
ここから、榛村が被害者の爪をはいで収集した理由が見えてきます。
幼少期の榛村は母・実葉子から愛情を受けており、そのときは人間らしい感情を持っていたのでしょう。
その後、義父たちからの虐待から母が守ってくれなかったことで、「母の爪が綺麗でなくなった」と思っているわけです。
母からの愛の象徴=綺麗な爪。爪は愛のメタファーなんですね。
榛村にはこれが強烈にインプットされています。
愛の象徴を求めた榛村は、被害者をいたぶった際に爪を収集するようになりました。
榛村は被害者から綺麗な爪を剥ぎ取ることで、幼少期に母の愛を受けるような満たされた感情を覚えたのでしょう。
タイトル:死刑にいたる病とは?
殺人を犯さないと生きていけないことが「死刑にいたる病」なのでしょうか。
それはどちらかというと「殺人の衝動を抑えられない病気」であり、「死刑にいたる病」ではない気がします。
榛村は人々について「不用心でバカバカしい」と言っていました。世の中のことを「どうでも良い」と思っていたのでしょう。
彼は幼い頃に虐待を受け、壊れた心を埋めるために殺人を犯していたのかもしれません。
しかし、それでも心の穴は埋まらず、「ついには殺人にすら飽きた」ようでもあります。
殺人にすら飽きたことが「死刑にいたる病」の発端なのではないでしょうか。
その段階から自分の死に興味が湧き、捕まって死刑されることを望んだのかもしれません。
しかし実際は、殺人では満たされなくなって人生がどうでも良くなり、自らを故意に油断させて半ばわざと捕まったような気もします。すべて計算づくにも見えるのです。
逃げた子を探さなかったのは自分の人生に興味がないからです。
雅也との最後の面会で、榛村が殺人を犯しながら生きていくのに耐えられなくなったような寂しげな表情の回想シーンのあとに「(小屋を燃やして爪を川に捨てたのは)別れの儀式のようなものだったかも…」と言っていました。
先程の考察と組み合わせると、爪を川に捨てたのは母の思い出との決別とも捉えられます。
榛村は自分が完全に壊れており、もはや母の愛や他人の愛を得られないと悟って、すべてがどうでも良くなったのでしょう。
母との絆を完全に捨て去ること=自分の命すらどうでもよくなること=死刑にいたる病です。
結論としては、「死刑にいたる病」とは(虐待で壊れた心と自尊心の低さによって)母から注がれたような愛を得ることは不可能だと知り、自分の人生を終わらせたい願望。
そこから後継者を作って殺人の病を世間に広める目的が付随したように思います。
また、榛村は虐待の被害者だったかもしれませんが、自分の人生を含めてゲームを楽しんでいるかのようであり、完全悪の存在です。
殺人にも飽きてすべてを終わらせたい「死刑にいたる病」が、「殺人鬼の後継者を社会に残してみたい」という最後の欲望を生み出してしまったように感じました。
次のページでは加納灯里がOL殺しの犯人なのか!?逃げた子は誰なのか?榛村の元ネタ殺人鬼・ジョン・ゲイシーについて徹底考察していきます↓↓
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