映画『えんとつ町のプペル』を劇場で見てきた。
映像は100点満点、しかし内容は薄いペラッペラのちぐはぐな作品だった。
もちろん子どもが見るのが前提なので細かいことは言わない。しかし伝えたいメッセージが見事に空中分解していて原作と比較してもちょっと駄作感がやばい。
一生懸命作ったキングコングの西野亮廣さんや製作陣には大変申し訳ないけど、映画としての致命的な欠点を解説・考察していこうと思う(※ネタバレあり)!
過激な酷評になっております。本作が好きな人はこのレビューを絶対に読まないでね!
えんとつ町のプペル酷評・感想は「ひどい…」致命的な欠点
アニメーションはとてもきれいだったので、10歳以下の子どもなら楽しいかもしれない。子どもたちが楽しんでいるなら別にいいし、細かい点まで批評するつもりもないが、あえて感想・酷評をぶっちゃけようと思う。
ストーリーがペラッペラで、めちゃくちゃつまらなかった。この映画が伝えたいことは一体何なのか?
大人はちょっと眠くなるだろう。何よりメッセージが空中分解している。メイン層である子どもに伝えるべきことが、しっかり伝わっていない。
致命的な欠点をいくつか解説していく。
プペルはルビッチの舎弟?
ルビッチとプペルは対等な友だちのはずだが、プペルはルビッチに“さん”づけだし、敬語だし、へりくだり過ぎている。ルビッチはズバズバ言うタイプのため、プペルが友だちでなく舎弟にしか見えない。
ルビッチとプペルの友情がとにかく薄っぺらい。子どもにありがちな、相手(プペル)を上手く利用している感が強い。そういう意味ではリアリティあるかもだけど…。
原作ではお互いに汚いことを笑い合うシーンがあり、プペルも敬語は使わず対等な友だちと描かれているので、なぜそこを映画で改変してしまったのか…。
原作絵本はここから見られるよ→https://poupelle.com/book.php
友情から親子愛にテーマが変化
ルビッチには友だちがいなくて、プペルもひとりぼっち。
最初のテーマは明らかに友情だったはずだが、二人が仲直りしたときに、プペルが父ちゃん・ブルーノだとわかる(ブレスレット(脳)に父ちゃんの意識と魂が乗り移ってる)。
いや、、そんな唐突に親子愛に舵を切られてもついていけないって。
友情のメッセージはフェイクで、親子愛にテーマが切り替わるなんて物語として違和感が大きすぎる!
しかもルビッチ、父ちゃん(プペル)に臭(くさ)いとかひどいこと言ってたよ…。
人に臭(くさ)いと何回も言っているのを見るのにも抵抗があったし、原作と違ってルビッチの嫌悪感丸出しの言い方が気になった。
人間の臭いを効果的に盛り込んで成功した『パラサイト半地下の家族』からアイデアを取って、臭いに重点を置いた印象も受ける。
親に見守られた過保護な冒険!
ルビッチは死んだ父ちゃんに影響を受けて、空の煙を吹き飛ばす偉業を成し遂げた。
このストーリー背景の場合、親を乗り越えるために自分だけの力で成し遂げた方が絶対に感動的だ。(一般的に、親の願いとしては独り立ちしてほしくない?)
しかし『えんとつ町のプペル』では、大冒険の最中も父親がすぐ側で見守っているオチなのだ。これはイタい。過保護がすぎる。
たとえば邦画歴代1位の興行収入を叩き出した映画『鬼滅の刃 無限列車』では、煉獄さんの子供の頃の回想を入れながら、最後は一人前の男として自分の力だけで強敵に立ち向かって行くところに感動できたわけだ。
だけど、結局ルビッチが冒険している最中も隣には父ちゃんの化身プペルがいるので、親離れできてない感じがダサい。
世界観ごちゃごちゃでヤバイ/サイバーパンク・中国・半沢直樹・ジブリ
世界観ごちゃごちゃ
『えんとつ町のプペル』は世界観がごちゃごちゃで統一されていない。
- たくさんの煙突はサイバーパンク
- 街並みは『千と千尋』の参考にされた台湾の観光地九份(きゅうふん)
- ごちゃごちゃに重なり合った家は、中国の九龍城砦(きゅうりゅうじょうさい)
- 時計は西洋風
- 鮮度が落ちると価値が下がるお金“L”
原作絵本と比較しても、いろんなところから拝借してきた世界観がごっちゃごちゃ。
思いついた世界観をくっつけだだけじゃないか?見ていて違和感が大きい。
経済闘争を入れたせいで結末が悲惨に
見た目の違和感もあるが、ストーリーラストにも悪い影響を与える。
なぜえんとつ町が外部と遮断されて、煙に覆われているかのオチの話になるけど、「世界を支配する“中央銀行”の勢力から逃れるため!というもの
中央銀行って、半沢直樹かよ!!!劇場で一人で吹き出してしまった。
そしてこの設定を冷静に考えると、煙はレターの一族(王族)が町を守るための防護シールドでもあり、人々を経済や争いから遠ざける役目を担っていたことになる。
ということは、今後えんとつ町の人々は、外の世界と経済戦争、もしくは戦争に発展する可能性が出てくる。
もしくは自国内で鎖国派と開国派に別れて紛争が起こるかだ。
町の安易な成り立ちのせいで、ラストの後味が悪くなっているのだ。
あらら、全体のストーリーも微妙になっちゃった。
登場キャラも個性がかみ合ってない
そして、登場キャラも世界観がチグハグ。
- 吸血鬼のような格好のルビッチ
- 昔の浅草下町にいるような、肌着に腹巻きの父ちゃん・ブルーノ
- ジブリ風の肝っ玉母ちゃん・ローラ
キャラクターに既視感があり、特に筋骨隆々の下町父ちゃんが、きらびやかな世界で浮いている気がする。
プペル考察・評価/さまざまな要素を入れて“感動するっぽい”映画
『えんとつ町のプペル』はテーマやメッセージがブレブレ、世界観がごちゃごちゃだとお分かりいただけただろうか。
なぜ、さまざまな要素を無理やり詰め込んだのか?
やっぱり感動させて、ヒットさせたかったのだろう。
感動を生み出そうとして、いろんな人の正しい意見を詰め込んだ結果、ごちゃごちゃして誰も感動できない作品ができてしまった。
「感動してよ!泣いてよ!」感が強い。そんなイメージ。
自己啓発か?
セリフも世界観にそぐわない、ツギハギっぽい印象を受けた。随所で登場キャラが違和感のある自己啓発的なセリフを連発してくる。
セリフ自体も微妙で、心に響かない。
後半ルビッチの「見てないのになんでわかるんだよ」的なセリフがあるけど、薄っぺらくない?能動性に欠けている。
子どもでもわかりやすくてもっと感情が乗る言葉が、他にたくさんあると思う。
感動は無理やり作ろうとすると、かえって押し売りっぽくてしらけてしまう。本作ではそれが顕著だった。
えんとつ町のプペルネタバレ感想・考察・解説まとめ「つまらん」
映像作品として30分くらい見る分にはよかったが、ストーリーがチグハグで映画館で2時間は長い。
『えんとつ町のプペル』の結論まとめると、フェイクの友情と過保護な大冒険の物語となるだろう。
最近流行りの『鬼滅の刃』とは対象的な、内容が薄っぺらい作品だった。
たくさんの人が関わるコンテンツは、ときに思いがけない欠点をはらむことになる。そんなことを実感させられた作品だった。
↓映画『えんとつ町のプペル』のあらすじラスト結末解説は2ページ目へ↓
- 1
- 2