映画『私というパズル』原題(Pieces of a Woman)をNetflixで視聴。
自宅出産のシーンに冒頭20分以上かけているのが特徴、大きなメッセージが込めらたというより、詩的な印象が強いヒューマンドラマだった。あらすじ解説のあと、感想を交えた考察をしていこうと思う。
深く考えないと面白くないタイプの映画。ネタバレあり注意!
映画『私というパズル』率直なネタバレ感想と評価
昨今の傾向である、わかりやすくエンタメに特化した映画と真逆の映画で、さすがハリウッドではなく、カナダ・ハンガリー合作という感じ!
死産の苦しみを葬式や死体献体と生々しく表現し、人間の心の修復を詩的に描いていた。
個人的な評価は、78点くらいかな。ステーキというより、薄味の懐石料理。
マーサを演じたヴァネッサ・カービーの出産の演技やその後の淡々とした表情は非常に見応えがあったけど、ストーリーの起伏はあまりなく、セリフも多くない。
なので各シーンや風景を真剣に見て、心の機微を捉えないと楽しめないつくりになっている(そのあたりは2020公開の『ミッドナイト・スカイ』に近い)。
マーサが立ち直るまでの過程で、彼女が心情吐露するシーンが少なく、たくさんの解釈ができるので、物語として明確な答えを求める人には向かない映画だと感じた。
映像は絵画的で美しく、見ていて飽きない。
全体では、詩的な雰囲気をまとったアーティスティックな仕上がりになっている。
死産に苦しむ夫婦を俯瞰的に描く!救いあるラスト
死産に苦しむ夫婦やその家族を描いていて、マーサと夫ショーン、エリザベスのそれぞれの意見の対立が見られるが、誰が悪いという描かれ方はしていない。
ショーンはスザンヌと浮気をしてしまうが、彼自身が娘を失って壊れかけていたし、ショーンが建設していた橋の完成後、マーサは彼の帽子を被って娘の遺灰をまいたからだ。ショーンの意思が尊重され、意味があるものとして描かれていた。
喧嘩ばかりしていたマーサとエリザベスも最後には仲直りしていたし、意見の対立は新たな旅立ちの糧になるという大きなテーマがあるのだろう。
ラストのマーサの娘がリンゴの木に登って実をかじるシーンは、救いがあってとても感動した。
最後に結論:人の営みをリンゴで詩的に表現
イヴは出産で子どもを失ったショックから、リンゴをよくかじるようになり、腐った果実を捨てず種を取り、発芽させる。
子どもを失って絶望し、それでも立ち直ったマーサのメタファーになっているのだ(種子を胎児に見立てる直接的な視点の説明はここでは省く)。
さらにリンゴは人間の営みそのものを表現しているのだろう。
『私というパズル』の英題はPieces of a Womanで直訳すると“女性のカケラ”となる。
女性のカケラとは“リンゴの種”ではないだろうか。
女性の断片=リンゴの種は、人間社会や大地に深く根付き、芽吹き、彩っている。
『私というパズル』という作品はそんな詩的な表現と共に、その裏側にある女性の苦しみや苦悩まで伝えた素敵な映画だと感じた。
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