映画『オッペンハイマー』ネタバレ考察&感想「アメリカの自作自演、日本被害の欠落の是非」批評

  • 2024年3月31日

アカデミー賞作品賞などを総なめにした映画『オッペンハイマー』をIMAXで鑑賞してきました!

完成度は高く、斬新な構造もありましたが、私は内容についてはわりと否定派です。アメリカの壮大なエゴが透けて見えるようでした。その理由を詳しく解説していきます。

あとは本作のメッセージについて深掘り考察も!

映画『オッペンハイマー』ネタバレ感想・批評

アメリカの免罪符

観る人によってメッセージの受け取りかたすら分かれるでしょう。日本人とアメリカ人でも評価が大きく分かれると思います。

本作は原爆を肯定しているような作品ではありません。オッペンハイマーの人物像にだけスポットを当てたような底の浅い作品でもありません。

ただ、悪く言えばアメリカ側から見た世界破滅の机上の空論が延々と語られており、実際に原爆を落とされて破滅させられた日本とはだいぶ温度差があると感じました。

破滅の主導権を握って議論するアメリカの裏面に、実際に破滅させられた広島・長崎があります。

シネマグ
現実の破滅は議論できないという視点が欠落しているように思えました。

原爆の開発や投下の道徳的な論争や倫理と、実際の被害は別次元の問題です。

日本の被害が死者数などの言葉だけで語られることによって論理と被害が同じテーブルのうえに並べられ、ある面で巧妙な論点すり替えが起こっていたと思いました。

ノーラン監督がどこまで意図しているかはわからないにしても、世界の命運を握っているのはアメリカだ!という雰囲気を感じました。

破滅の決定権すら手中に収めたいアメリカの壮大なエゴで息が苦しくなります。

うがった見方をすれば本作がアメリカなどで評価された理由は、マニフェスト・デスティニーを満足させてくれるからではないでしょうか?

(マニフェスト・デスティニーは、「白人社会はその他の文明をリードする天命を持っている」という思想)

本作では、原爆の罪や原爆の父の罪を描き、そして原爆による戦争終結で歓喜する白人たちの姿を冷めた視点で描いています。

ただ、「私たちアメリカは過去を客観的に見つめることができている。そして世界が破滅する権利も我々が持っている」という高慢な視点まではぬぐいきれていないと思いました。

社会の間違った決断や歯車となる人間の弱さによって原爆が作られてしまったというテーマはしっかりと表現されていたと思います。

しかし、過去の罪を客観視できれば許されることではないです。贖罪やオッペンハイマーが罰せられることで解決される問題でもありません。

根源的な問題は、未知の力に手を出したときに、何が起こるか誰にも俯瞰(ふかん)できないこと。

アメリカの国内の舞台だけで完結させたことで、「過去を客観視できているアメリカ!」という若干イタい側面や、アメリカ自身が作った過去への免罪符のような側面を持ってしまったと思いました。

映画内で共産党員のハーコン・シュヴァリエ(ジェファーソン・ホール)がオッペンハイマーに「自分で最悪だと思っている奴は最悪ではない」と語っていましたが、その原理がアメリカ自体に適応されているかのよう。

すなわち「原爆投下はよくなかったけど、自分たちで罪だと自覚しているから大丈夫だ」という壮大なエクスキューズです。

アメリカ以外の国の視点が入っていないので、自作自演のような構造になっていました。

感想を語る犬
自作自演の反省文みたいな映画です。

ジャイアンがのび太をブン殴り、ジャイアンがのび太の意見を無視して勝手に自己反省するみたいな感じですね。

本作で世界の核に対する意識は、「変わる」というより、「変わった気になる」が近いと思います。

オッペンハイマー自身の人生だけを描くなら原爆の被害を受けた日本を描かなくていいかもしれません。

しかし本作では原爆の恐怖や世界の滅亡の予見まで描いているので、被害国を完全排除する構図自体に大きな違和感があります。高慢ともいえるでしょう。

例えば、ナチスの幹部を主人公にして迫害されたユダヤ人側を描かない映画を作れば欧米社会では問題になるでしょう。それに近いことがなされているわけです。

日本側が排除された構造自体に批判が出るのは普通だと思います。

映画として日本側を描かないことが功を奏したのは確かでしょうけど、それ自体がアメリカファースト思考です。

シネマグ
構造の問題点を含めて人間の愚かさを十分に描き切れた作品なのかは意見が分かれるところでしょう。果たしてノーラン監督はどこまで意図していたのか?

原爆の悲劇を現代に繋げるだけで十分なの?

原爆の製造と決定に関してオッペンハイマーの微妙な心理描写から紐解き、現代社会へ問題提起を促す構造は見事です。

ユダヤ系の政治学者ハンナ・アーレントはナチスでユダヤ人虐殺の命令を下したアイヒマンを見て、「悪とは、システムを無批判に受け入れてしまうこと」と感じたそうですが、オッペンハイマーの人柄にもそれに通底するものがありますね。

映画『オッペンハイマー』が描いた過去の悲劇から学べることがたくさんあります。

しかしやはり実際に被害を受けた側の視点が欠けていることで、「アメリカは大惨事に対して責任を負うことができる」と思っているような側面がある気がするんですよね。

「責任や罪へと方向転換すること自体が浅はか」というような、もっと広い視点の議論が入れ込まれていても良かったのでは?と思いました。

すでに起こってしまったことに対して本当の意味では誰も責任を負えません。補償や哀悼の意や回顧で被害者は帰ってきません。

「なぜ原爆を作ってしまったのか?」「止められなかったのか?」「どんな心理だったのか?」などを描くとともに、「覆水盆に返らず」的な目線をもっと入れるべきだったように思えます。

英語だと「What is done cannot be undone(やったことは取り返しがつかない)」ですね。

黒人差別の問題などもそうです。インディアンの虐殺もそうです。過去は戻せません。

英語のレビューを読むと、「科学に対する倫理的な義務のテーマがある。善と悪の曖昧さを投げかけている。原爆の決定に対して必要性があったのか考える必要があると思わされる」的な意見がありました(参考記事)。

もちろんこれらも重要なメッセージですが、過去から学べば破滅への未来を回避できることが前提にある解釈とも考えられます。

アメリカや人類は本当にそこまで賢いのでしょうか?(ロシアのウクライナ侵攻も、イスラエルのガザ侵攻も止められませんでした)

『オッペンハイマー』に関しても超えてはならない一線にもっとフォーカスして、過去にしでかしたトラウマに対する治療ではなく、予防にもっと重点が置かれるような作品にしたほうがよかったのでは?

高慢さが少しでもあれば、また世界のどこかで悲劇が繰り返されるでしょう。

話が壮大になってしまいましたが、映画『オッペンハイマー』をうがった目線で見ると、世界をリードするアメリカで作られた最高峰の映画がこんな感じだと(少なくとも海外レビューでの受け取り方は)、「今後世界で起こる悲劇も防げないんだろうな」とボンヤリ感じてしまいました。

日本人は見るべきなのか?

先述の内容から、日本人こそ『オッペンハイマー』を鑑賞するべきだと思います。映画とはいえ、少なくともこの作品で日本とアメリカとの考え方の違いについて学べると思います。

個人的には、少しアメリカが怖くなったというか、ずっと主導権を握っていること自体に問題があると思いました。

日本との戦争やベトナム戦争、さらに多くの代理戦争がアメリカ国外で起きたことからもわかるように、当事者ながら問題を自国に持ち込ませないパワーがあるからです。

『オッペンハイマー』を鑑賞後、例えば「人工知能のシンギュラリティなどについて、まずは米国外でどうなるか実験してみよう!」みたいな冷徹な決断もあり得るかもしれないと思いました。

映画『オッペンハイマー』考察(ネタバレ)

『オッペンハイマー』のメッセージ性については否定的な意見も述べましたが、素晴らしいコンセプトもたくさんあったので独自解釈を述べていきます。

オッペンハイマー自身の核分裂

本作で素晴らしい表現だと思ったのが、オッペンハイマー自身のパーソナリティが矛盾によって核分裂してしまったように描いたこと。

キリアン・マーフィーの繊細なのか大胆なのかよくわからない絶妙な演技もすごかったですね。

特に原爆投下後の集会で、原爆で戦争を終結させられたことについてポジティブな演説をしながら、原爆投下の悲惨なビジョンを見ているシーンが印象的でした。

言っていることと感じていることが別々です。

原爆の投下を防げなかったのは、オッペンハイマー自身の心が矛盾に引き裂かれていたからでしょう。

彼の中で道徳と科学が核分裂を起こしていたため、悲劇を防ぐことができなかったのです。

権力とは影

ロバート・ダウニー・Jr.演じるストローズがオッペンハイマーを失脚させようとしていた黒幕だと判明します。

ストローズは「真の権力は影の中に居続けること」と言っていました。

このセリフは映画全体にも当てはまるように思えます。

『オッペンハイマー』で科学者たちがなぜ問題を防げなかったかを緻密に描きつつも、被害を受けた日本を影としてすら描かないことで絶対的な権力が浮かび上がってくるからです。

その影が個人か全体かはわかりませんが、オッペンハイマーたちは得体の知れない権力に操られていたようにも見えます。

その権力とは、科学なのかもしれません。

人類の終わりの始まりを描く

感想の項目では「悲劇的な結果の過程にスポットを当て、過去を反省しているように見えてアメリカが自身に免罪符を与えているような作品」と言いましたが、ラストのアインシュタインとの会話から、オッペンハイマーは人類の終焉を予感していることが描かれていました。

原爆、水爆と続いて、いずれは世界が滅んでしまう可能性への扉を自分が開けてしまったと悟っているのでしょう。

アインシュタインは「君の功績は讃えられるかもしれないが、それは君を許すためではない」とオッペンハイマーにキッパリ言いました。

オッペンハイマーは地獄から絶対に逃れられないという意味です。

なぜ原爆を作ってしまったのか。ナチスから同胞を守りたかった。科学者として研究を止められなかった。政府から圧力をかけられたなど色々な理由があるでしょう。

それでも人類の終焉に寄与したオッペンハイマーは永遠に許されない。そんな救われなさがしっかり描かれていました。

原爆ダメ、絶対!の映画ではない

映画『オッペンハイマー』は人類を滅亡させられる原爆を作ってしまったオッペンハイマーの葛藤について描かれます。

かといって「原爆、ダメ絶対!」という主題があるかというとそうではなく、もっと壮大な視点…未知の兵器に手を出さずにはいられない人類を俯瞰して描いていると思いました。

反戦に重点が置かれているのではなく、人間の愚かさを客観的に見つめる映画です。

人類の愚かさと破滅の予感を描いた、壮大であり繊細な作品なのでしょう。

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