「ヒッチコック/トリュフォー」というドキュメンタリー映画ををご存知だろうか?
フランスの有名監督トリュフォーがヒッチコックにインタビューして作り上げた映画の表現技法をまとめた「ヒッチコック/トリュフォー」という分厚い本があるのだが、その本にあるヒッチコックのフレームワークや映画に対する考え方について、デヴィッド・フィンチャーやマーティン・スコセッシなどの現在の一流監督の意見を集めたのがこの作品。
特にヒッチコックの映像表現技術について学ぶことができたので、書き留めておく。
撮影中、演技ではなくスクリーンを見ている
作中で語られていたこの事実に驚いた!監督って普通、俳優の演技をそのまま観て「ハイ、カット〜」とか言うものかと思ってたら、ヒッチコックは撮影中もカメラに映った映像を見ているらしい。
これが「完璧なフレームワーク!」と言われる大きな要因だろう。最初からカメラ越しで演技を見るという観客と同じ目線に立つことが、心を鷲掴みにするようなシーンを作り出す秘訣なのだ!
「めまい」や「裏窓」など、ヒッチコック監督の作品を観ていると思わず画面に吸い込まれるようだが、彼ならではのこんな工夫があったのだと納得できる!
サイレントで楽しめるか?
ヒッチコックが監督として活動を開始したのは1920年代。当時の主流はサイレント(無音)映画で、彼はサイレント映画の字幕デザイン→美術担当→23歳の若さで監督としてデビューした。
そのため根底はサイレント映画にあり、音無しでも観客が楽しめるかどうか?という完成度についての判断基準を生涯持っていたようだ。
彼の作品はセリフがないシーンでも、これでもかというくらい鋭利に、登場人物の心情を描くことに成功している。
それは、まず音がない状態で観客が共感できるか?気持ちが伝わるか?ということを第一に考えていた結果だったのだ。
映像+音で感情移入させる技法が主流になっている昨今だが、音が無くても楽しめるかどうかと言うのは、非常に理にかなったアプローチといえるだろう。
作品に共通するテーマは罪の転移
サスペンスの帝王と言われるヒッチコックだが、様々な作品を観てみると共通するテーマがあるという。
それは”罪の転移”だ。簡単に言うと、冤罪の主人公と真犯人がいるという構成だ(他のパターンもあるが)。
ヒッチコックは人は罪深いと考えていたようで、人の罪と心情を描くことに焦点を当て映画を作っていたのだ。
稀代のアイデアマン
デヴィッド・フィンチャーやマーティン・スコセッシなど多くの有名監督が作中で語ったのは、「ヒッチコックはアイデアがものすごい」というものだ。
登場人物の視点の変化、心情の変化、物事の経緯、それらをどういった構図で撮るか?というアイデアの豊富さがずば抜けているのだという。
急に視点が俯瞰(離れて上から見る感じ)になったり、円を描くようなカメラワークで登場人物に迫る恐怖を描いたりと、彼が広めた撮影アイデアは現在も、様々な制作者に影響を与え続けている。
ミルクに電球!?
ここで一つ、ヒッチコックが考えたびっくり仰天するアイデアを紹介する。白黒フィルム時代にヒッチコックがミルクの白さを際立たせたいと思って考えついたアイデアが、ミルクに豆電球を入れて光らせるというもの!
確かに光によってミルクの白さは際立つだろうが、普通思いつくか?そして思いついても実行するか?この辺が常人の発想と違う。
常識にばかり捉われていたらまずこんなアイデアは出てこないだろう。ヒッチコックはワンシーンワンシーン何か新しい技法を発明する意気込みで作っていたのだろう。
最後に
ヒッチコックが活躍した1940〜1970年代。その頃に比べて映画はより優れたものになったか?
僕がその質問に答えることはできないが、これだけは言える。映画の完成度とメカニズムの進歩は無関係だ。
CGや3D技術により、ヒッチコックの時代と比べると映像で表現可能な事は格段に増えたと言っていい。
しかし、映画の醍醐味はスクリーンに映し出された登場人物の”心”を観ることであり、それは人が人である以上変わらないだろう。
つまるところ、人物の潜在意識までカメラで捉えることができるだろうか?そして、それをヒッチコックよりうまくできるだろうか?
求められる技術は昔と1ミリも変わらないのだ!
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