映画『COP CAR/コップ・カー』。ケヴィン・ベーコン主演!ジョン・ワッツ監督(スパイダーマン・ホームカミングの監督)!シュールで挑戦的な映画!どことなくノーカントリーに似ている!
そんなコップ・カーの魅力を徹底解剖!あらすじや特徴などを見ていこう!
ちまたではコップ・カーはつまらないという意見もあるが、派手な演出がされていないだけで実はお笑い要素が満載。
この映画のチャームポイントを徹底考察してみた!
映画『COP CAR/コップ・カー』ネタバレ感想!シュールかつクール!
コップ・カーは、商業映画に対するアンチテーゼとでもいうべく、あらゆる無駄を剥ぎ取ったような映画になっている。
ヒーロー映画ばっかり流行ってる昨今にしては、とても斬新に感じられた。
保安官ながら、殺人や麻薬に手を出すミッチ。
彼の一人称視点のシーンを意図的に減らすことで、彼に対する観客の共感を少なくし、犯罪者が犯罪者なりに頑張っているところを、俯瞰してみせているのだが、それがすごく面白いのだ。
かなり不謹慎な言い方をしてしまえば、実際の犯罪や、それを隠蔽しているところって、遠くから眺めてたらメチャ滑稽で笑えるんじゃねえか!?と理解させてくれる作品。
真剣な犯罪で上手くいかないことの面白さが、ひとつテーマとして描かれているのだろう。
映画『COP CAR/コップ・カー』は音楽ナシ!ノーカントリーっぽい!
コップ・カーはあらゆる無駄を剥ぎ取った映画だと説明した。
では、何が剥ぎ取られているのだ。
そう、音楽である、映画では観客を楽しませるために、シーンにあった曲や、オーケストラの演奏が常に流れていることが多い。
しかし、コップ・カーでは曲はほとんど流れず、ときおり効果音が入るのみである。
傑作といわれる、アカデミー賞受賞作品「ノーカントリー」も、音楽をほとんど流さない、という手法を用いている。
コップ・カーもノーカントリーを意識したのかもしれない。
ノーカントリーでは、音楽がないことで、殺し屋のアントン・シガーに異常性が際立ったが、コップ・カーではミッチ保安官のシュールさが際立っている。
音楽がないことで、観賞者が何に集中するようになるか、考えると興味深い。
音楽がないゆえ、シュールさが浮き彫りになる。
シリアスさに潜む『COP CAR/コップ・カー』の爆笑シーン!
コップ・カーには、とても面白いシーンが多いアクションサスペンス映画だが、笑える部分は、観ている奴らが自分で考えろと!言わんばかりの作風。
ハリウッド映画では、ここ笑うところですよ!とすぐにわかるように、音楽やおどけた表情で演出するのが普通だが、今作はそんな親切な演出はナシ!
例えば、ミッチ保安官の走り方ひとつとっても、腕を上げ過ぎている運動音痴そのものだし、トランクの中にいた男も、バスローブ姿にパンツでブカブカの靴を履いているという、命の危険が迫っているのに、客観的にみれば、アホそのものだ。
冷静に考えれば爆笑シーンが非常に多いのだが、思ったほど笑えなかったりする。
これは僕らが無意識に、いわゆる最近のTVや映画の“笑い”の効果音や間の置き方に毒されていて、自分で笑いを見つけることができなくなっている証拠かもしれない。
つまり、笑いに対して知能指数が低くなっているのである。僕は知らないうちにバカになっていたのか!?
コップ・カーは、そんな反省もさせてくれた。
子どもの視点で進んでいくシリアスもの
コップ・カーでは、犯罪の隠蔽を俯瞰的にみせることで、その生々しいアホさにスポットが当たっていると解説したが、トラヴィスとハリソンという10歳の二人の少年も、大人のアホさを強調する上で、大きな役割を果たしている。
コップ・カーは、視聴者が子どもの視点で観る映画になっているのだ。
子どもの目からみてみたら、大の大人が自分の犯罪を必死に隠そうとする姿は、なんと滑稽か!?
つまり、子どものような、固定概念のない状態でみてみろ!コイツらみんな最高にバカだろ!と、監督は言いたかったのかもしれない!
そして、最後にハリソンが闇夜の中、トラヴィスのためにコップ・カーを飛ばすシーンもじんわりくる。彼なりに大きな成長を遂げた瞬間だろう!
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