映画『COP CAR/コップ・カー』。ケヴィン・ベーコン主演!ジョン・ワッツ監督(スパイダーマン・ホームカミングの監督)!シュールで挑戦的な映画!どことなくノーカントリーに似ている!
そんなコップ・カーの魅力を徹底解剖!あらすじや特徴などを見ていこう!
ちまたではコップ・カーはつまらないという意見もあるが、派手な演出がされていないだけで実はお笑い要素が満載。
この映画のチャームポイントを徹底考察してみた!
映画『COP CAR/コップ・カー』ネタバレあらすじ結末解説
あらすじ1:怪しい保安官と少年
ミッチ保安官(ケヴィン・ベーコン)は、コップ・カー(パトカー)を荒野の林の中に止めて、付近で、1体の死体を埋めていた。
そのさなか、トラヴィスとハリソンという、10歳の家出少年二人組に、コップ・カーを盗まれてしまう。
ミッチは、その辺の民家の車を盗み、自宅に帰って車と武器をとる。
ミッチは携帯で警察のオペレーターに連絡を取り、地域の警官の無線を他のチャンネルに変えさせ、コップ・カーに乗っているトラヴィスとハリソンに向けて、コップ・カーを返すよう話しかける。
あらすじ2:車トランク男の正体は?
トラヴィスとハリソンが、コップ・カーを走らせていると、トランクから物音が。中には、血だらけで拘束されている男がいた。
二人が縄を解くと、男はハリソンに「風車が近くにある道路にいる」と、銃で脅して無線で喋らせたあと、二人を後部座席へ閉じ込めた。
男は銃を持って風車の下に隠れ、保安官ミッチを待ち構える。
ミッチは、コップ・カーが止まっている場所に到着、怪しい雰囲気を感じ取り、近くに、自分がトランクに入れた男が、近くに潜んでいると感づく。
そこで、車に乗ったベヴという女性が、止まっているコップカーを見つけた。
先ほどぶつかりそうになったと、車を降りて、後部座席にいるトラヴィスとハリソンを怒鳴りつけた。
ラスト結末:少年ハリソンの成長
ベヴは、車の外にいたミッチに騙され、コップ・カーの鍵を探し回ることになったが、風車の下の男に気がつき、彼に射殺されてしまう。
ミッチと男は、お互いに撃ち合い、倒れる。
トラヴィスはハンドガンを撃ち、後部座席の窓ガラスを割ることに成功。
しかし、跳弾を腹部に受け、倒れ込んでしまう。ハリソンは意を決してコップ・カーを走らせた。
無線からミッチの声が聞こえ、後ろから追ってきていることがわかった。
ハリソンがコップ・カーを飛ばすと、追いかけているミッチは、道路脇にいた大きな牛に車でぶつかってしまった。
無線から警察のオペレーターの女性の声が聞こえ、安堵して答えるハリソン。
映画『コップ・カー』終わり。
映画『COP CAR/コップ・カー』ネタバレ感想!シュールかつクール!
コップ・カーは、商業映画に対するアンチテーゼとでもいうべく、あらゆる無駄を剥ぎ取ったような映画になっている。
ヒーロー映画ばっかり流行ってる昨今にしては、とても斬新に感じられた。
保安官ながら、殺人や麻薬に手を出すミッチ。
彼の一人称視点のシーンを意図的に減らすことで、彼に対する観客の共感を少なくし、犯罪者が犯罪者なりに頑張っているところを、俯瞰してみせているのだが、それがすごく面白いのだ。
かなり不謹慎な言い方をしてしまえば、実際の犯罪や、それを隠蔽しているところって、遠くから眺めてたらメチャ滑稽で笑えるんじゃねえか!?と理解させてくれる作品。
真剣な犯罪で上手くいかないことの面白さが、ひとつテーマとして描かれているのだろう。
映画『COP CAR/コップ・カー』は音楽ナシ!
コップ・カーはあらゆる無駄を剥ぎ取った映画だと説明した。
では、何が剥ぎ取られているのだ。
そう、音楽である、映画では観客を楽しませるために、シーンにあった曲や、オーケストラの演奏が常に流れていることが多い。
しかし、コップ・カーでは曲はほとんど流れず、ときおり効果音が入るのみである。
傑作といわれる、アカデミー賞受賞作品「ノーカントリー」も、音楽をほとんど流さない、という手法を用いている。
コップ・カーもノーカントリーを意識したのかもしれない。
ノーカントリーでは、音楽がないことで、殺し屋のアントン・シガーに異常性が際立ったが、コップ・カーではミッチ保安官のシュールさが際立っている。
音楽がないことで、観賞者が何に集中するようになるか、考えると興味深い。
音楽がないゆえ、シュールさが浮き彫りになる。
シリアスさに潜む『COP CAR/コップ・カー』の爆笑シーン!
コップ・カーには、とても面白いシーンが多いアクションサスペンス映画だが、笑える部分は、観ている奴らが自分で考えろと!言わんばかりの作風。
ハリウッド映画では、ここ笑うところですよ!とすぐにわかるように、音楽やおどけた表情で演出するのが普通だが、今作はそんな親切な演出はナシ!
例えば、ミッチ保安官の走り方ひとつとっても、腕を上げ過ぎている運動音痴そのものだし、トランクの中にいた男も、バスローブ姿にパンツでブカブカの靴を履いているという、命の危険が迫っているのに、客観的にみれば、アホそのものだ。
冷静に考えれば爆笑シーンが非常に多いのだが、思ったほど笑えなかったりする。
これは僕らが無意識に、いわゆる最近のTVや映画の“笑い”の効果音や間の置き方に毒されていて、自分で笑いを見つけることができなくなっている証拠かもしれない。
つまり、笑いに対して知能指数が低くなっているのである。僕は知らないうちにバカになっていたのか!?
コップ・カーは、そんな反省もさせてくれた。
子どもの視点で進んでいく
コップ・カーでは、犯罪の隠蔽を俯瞰的にみせることで、その生々しいアホさにスポットが当たっていると解説したが、トラヴィスとハリソンという10歳の二人の少年も、大人のアホさを強調する上で、大きな役割を果たしている。
コップ・カーは、視聴者が子どもの視点で観る映画になっているのだ。
子どもの目からみてみたら、大の大人が自分の犯罪を必死に隠そうとする姿は、なんと滑稽か!?
つまり、子どものような、固定概念のない状態でみてみろ!コイツらみんな最高にバカだろ!と、監督は言いたかったのかもしれない!
そして、最後にハリソンが闇夜の中、トラヴィスのためにコップ・カーを飛ばすシーンもじんわりくる。彼なりに大きな成長を遂げた瞬間だろう!
最後に感想まとめ
はっきりいって映画『COP CAR/コップ・カー』は、エンタメてんこもりという雰囲気ではないので、万人受けはしないだろう。
何気なく観るとつまらないという感想を抱いてしまうかもしれない。
しかし、この映画をみて、笑えたか?笑えなかったか?なぜ笑ったのか?なぜ笑えないのか?いろいろ考えてみるという点で、観る価値のある映画だと断言できる。
とてもわかりやすい映画ばかりでは、つまらない!
コップ・カーのような、ちょっと挑戦的な作品がハリウッドや日本で多くつくられることを願って、合掌!!