小説『母性』読了後の深掘り考察レビュー記事です。
母性の存在自体を問う斬新なメッセージ、母と娘の逆転現象、第二子・桜の意味の解釈を書いています。
↓戸田恵梨香さん、永野芽郁さん出演の映画版の考察・感想については下記記事へ↓
映画『母性』。湊かなえの原作小説を戸田恵梨香と永野芽郁で実写化!母と娘の苦悩と絶望をめぐるサスペンスです。 CineMag 期待を裏切らない超濃密な人間ドラマ!でもぶっちゃけ〇〇ではありません! 作品情報・キャスト・あ[…]
小説「母性」感想・評価(ネタバレ)
母と子の葛藤についてはリアルすぎて目を背けたくなるものも多く、読み終わってからブログを書いていてもなお暗い気持ちから抜け出せません。
イヤミスの女王・湊かなえさんに心をボコボコにされました。
具体的にはまずルミ子の神父に向けた手記は本音と脚色、認識のゆがみが入り乱れており、文章のゆらぎ自体から彼女のパーソナリティが浮かびあがってくるのが素晴らしいです。
面白いのが娘・清佳(さやか)についても回想という形で独白がさし込まれること。
清佳はハンドクリームをぬってくれたことに感動して涙をこらえているのに、母は娘が仏頂面であまり感謝していないと思い込むなど、2人の認識の違いがはっきり描かれます。
認識の違いによって母と娘だけでなく、他者と生きるためにはどうすればいいかというより普遍的なメッセージが浮かび上がってくるのも特筆すべきです。
あとは『母性』のコンセプトや構成は太宰治の小説「人間失格」に似ていると思いました。
登場人物の手記がつづられている構成だけでなく、母・ルミ子の弱々しさなどが「人間失格」の主人公・葉蔵にそっくりです。
実写化映画ではルミ子と実母のやりとりが『斜陽』っぽかったので、湊かなえさんはもしかすると大なり小なり太宰を意識していたのかもしれません。
夏目漱石の『こころ』と共に、日本で最も読まれている小説と言われる『人間失格』。 小栗旬や沢尻エリカで『人間失格 太宰治と3人の女たち』として映画化などもされている。 1948年の刊行当初から大きな波紋を呼び、現代に至るまで、常に[…]
小説『母性』はどんな人生経験を積んできたかで感想がことなる側面もあり、それも魅力のひとつです。
次の考察の項目では私なりの解釈や受け取ったメッセージを書いていきます。
小説「母性」考察(ネタバレ)
母性の存在自体を問う!
母性をめぐる母と娘の葛藤から真理を描くようで、虚構性もたぶんに含んでいるのも興味深いです。
ルミ子と実母のやりとり、ルミ子と娘・清佳ら登場人物やりとりからは母性についての深い洞察があるようで、反面物語のためにつくりあげたであろう不自然な描写も散見されます。
そもそもルミ子と実母のような母子で褒めあう関係が20年以上続くこと自体が不自然ですし、実母がルミ子が本当の母親になるために舌を噛み切って自殺するのも非常に物語じみています(物語なので当然ですが)。
常に他人の気持ちを考えられる聖母のような実母が、娘の前で自殺するでしょうか。
土砂崩れでタンスに潰され、火事も起こっている緊急事態なので通常の精神状態ではないにせよ、最愛の娘の前で自殺は選択しないと思います。
ルミ子が清佳に対してあまりにもドライに描かれていることも不自然です。
わたしごときに湊かなえさんの考えが理解できるはずもありませんが、母性の真理を追求するというテーマなど最初からないのかもしれません(母と子の関係の問題提起は現実的ですが)。
母性の本質より女性に母であるか娘であるかを選択させる斬新なコンセプトやイヤミス性が先行しているように思えます。
母性の真理を描こうとしていないからダメだということでは決してなく、そこから母性そのものの虚構性を告発しているようなメタ的なおもしろさが垣間見えるのが面白いです。
作中では成長して教師になった清佳が「母性は生まれつきそなわっているものではなく、後天的に獲得していくもの」という持論を述べてひとつの答えを出しているようですが、それ自体も真理とはいえない気がします。
読んだ人が母性について自分なりの答えを得られるようで得られない。
そして答えが得られないからこそ、母性の尊さが浮かび上がってくる。
母と娘の同質性
母の手記と娘の回想というかなり不確かなものを頼りに浮き彫りになったのは、
- 母・ルミ子の娘性
- 娘・清佳の母性
という逆転現象でした。
母・ルミ子の手記では実母は太陽であり神のごとく描写されており、娘・清佳が実母の教えを受け継いでないと落胆と同時に「母の娘に戻りたい」という欲求がダイレクトに伝わってきます。
逆に清佳の手記からは、母・ルミ子に好かれたいと同時に義母から守りたいという想いが伝わってきます。これはれっきとした母性だといえるでしょう。
清佳は「女性は母と娘に分かれる」と言ってましたが、個人的には本作は「母であり娘である、娘であり母である」というメッセージのほうが強いと感じました。
母と娘はお互いに役割を交換してしまうからこそ上手くいかないこともあれば、支え合うこともできる。
リアルで気持ち悪さの残る母と娘の独白や認識の違いから、最終的には上記の結論を導き出しました。
第二子・桜について
ルミ子は実母に因んで桜と名づけた第二子を妊娠しますが、憲子(義母の娘)の息子・英紀に突き飛ばされて流産してしまいます。
実母と母娘の関係を永遠にループするようなイヤミス的な生々しさのあとのショッキングなシーンでした。
ただそれだけではなく抽象的な次元では、ルミ子が実母の死を受け止めて清佳に目を向ける意味が込められていたと思います。
人間失格に通じる構造
(※太宰治の小説「人間失格」のネタバレを少しだけ含みます。)
感想のパートでも『母性』が『人間失格』に似ていると書きました。
娘の回想と教師になった清佳の2つの視点がふくまれていて、娘の正体があとで教師だとわかる構造も共通しています。
人間失格でも、哀れな人生を送った葉蔵にはあきらかに太宰治自身が反映されているにもかかわらず、ラストで葉蔵の手記を太宰が読むという入れ子構造になっているからです。
『母性』では名作の構造をスマートに応用しているのがすばらしいと思いました。
中峰敏子・占いの解釈
ルミ子が英紀に突き飛ばされて流産してしまった後、中峰敏子という女性が助けられ、ルミ子は彼女の姉・彰子の姓名判断で娘の“気”がおかしいと言われて月3万円払って飲み薬を手に入れ、清佳に飲ませます。
たいして清佳の回想では、義母も中峰姉妹から怪しい水晶を買わされていました。
清佳の回想のほうが正しいとすれば、中峰姉妹が詐欺師となります。
流産した直後に詐欺にあっていたのを、ルミ子の手記では中峰への感謝しか書かれていないことで哀れさが増幅されました。
おそらく、中峰敏子たちは哲司の不倫相手だった瞳からその情報を得ていたのではないでしょうか。
まとめ
湊かなえさんの小説『母性』は、視点の違い、解釈や認識の違いから母と娘の生々しい部分をえぐり出した画期的な作品でした。
読み終えた後でいろいろ考えてみても前向きなメッセージだけでなくドロっとした恐ろしさが混在しており、絶妙なさじ加減に感服です。