デイミアン・チャゼル監督の映画『ララランド』の深掘り考察・ストーリー解釈・感想や評価をネタバレありで解説していきます。
映画『ララランド』ネタバレ感想・評価
色彩と夢の対比
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従来の恋愛映画と比較するとかなり複雑な感情が表現されており、結局この作品は何を表現しているのかと考え込んでしまうようなつくりです。
夢見る人たちがハイウェイでいっせいに踊り出すオープニング、赤、青、黄色の原色ドレスとエンタメ性にあふれる前半。
じょじょに現実にうちひしがれ、ミアの服もどんどん地味になっていく後半。
映像や展開にさまざまなコンセプトが仕掛けられていると思いました。
映画のストーリーあらすじだけ考えると夢と愛情のボタンのかけちがい的な、わりとよくあるテーマが見えてきます。
ただそこに色使いの変化やジャズ音楽がスパイスとして加わり、よくあるテーマが多様な輝きをみせたという印象です。
伝統的なミュージカルを取り入れたいっぽうで唯一無二のオリジナリティを持ち、視聴者のだれもが自分ごととして認識できる特殊な映画だと感じました。
デイミアン・チャゼル監督の人生観や個性が最大限に機能したすばらしい作品です。
切なすぎるラスト、if…の世界
衝撃的なラスト10分ではもし2人がうまくいっていたらのパラレルワールドが映し出され、切なさがあふれ出します。
だれもが経験する若い頃の一過性の恋だったというより、お互いの夢を尊重して魂の部分でつながっていたソウルメイトが一緒になれなかった悲劇に感じられました。
愛を超えた何かが儚く壊れたイメージです。
セブとミアは2人で過ごすこと以外は、夢も金も手に入れています。
5年前に2人が切望したものです。
ミアはセブのひと押しで最後のオーディションを受けたように、お互いの存在が確実に夢を叶えるきっかけになりました。
映画『ララランド』考察(ネタバレ)
ジャズが表現するパラレルワールド
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生演奏と即興を重視するジャズは、同じ曲でも演奏するたびにちがう表現になります。
そんなジャズ音楽の特徴が本作のテーマを表しているようでした。
ジャズと同じように男女の恋愛も、人生もある意味では即興演奏の連続です。
2人の恋がもう少しだけちがう演奏だったなら、今2人は一緒にいるはずだった…。
そんなメッセージが切ないピアノの音色でつむがれていました。
セブが「ミアとセブのテーマ(Mia & Sebastian’s Theme)」を弾き、2人がうまく行ったパラレルワールドが映し出されます。
最初にセブがミアに冷たくしなければ、ミアの舞台にセブが間に合っていれば…。
ジャズという音楽自体のコンセプトによって人生の偶然性が強調され、ラストがエモーショナルで切ないものになりました。
ジャズの演奏のあとに、「さっきこんな風にプレイしてればなあ」と考えてもあとの祭りなように、過ぎ去った2人のジャズは変えられません。
どんな演奏・選択も自由だったはずです。しかし2人は幸せな関係を奏でられませんでした。
愛は音楽のなかに永遠に
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深掘りするならセブの演奏はさらに複雑なものを表現していたように感じられます。
それは、現実は変えられないけど2人が愛し合った事実は決して消えないということです。
言葉で述べるとチープな気もしますが、表現方法は秀逸でした。
ラストではジャズ音楽の偶然性のように限りないifの世界が広がったわけですが、そこから見えたのは後悔の念だけではありません。
美しい楽曲「ミアとセブのテーマ(Mia & Sebastian’s Theme)」のように愛し合った思い出は残ります。
その曲を演奏すれば、思い出がレコードのように再生されます。
セブはラストの演奏で、こうしておけば良かったというifへの後悔と、2人が愛し合った事実の両方を表現できたのではないでしょうか。
偶然の儚さと普遍の美しさを演奏に込めた彼は真のジャズマンとなり、ミアを笑顔で送ったのでしょう。
多様な解釈ができ、単に感動したでは片付けられない映画史に残るラストになったと思います。
『ラ・ラ・ランド』と『セッション』を比較
※映画『セッション』(2014)のネタバレを少し含みます。
デイミアン・チャゼル監督が若い頃にジャズドラマーを志していたこともあり、『ラ・ラ・ランド』はジャズピアニスト、『セッション』ではジャズドラマー志望の青年が主人公です。
どちらの作品も目標と現実の埋めがたい境界線を突きつけている点が共通しています。
『ラ・ラ・ランド』の場合は、主人公・セブは本物のジャズをやりたいけどそんなのだれも聞いてくれない。売れるバンドに入ったけど自分がやりたい音楽ではない、そんな状況。
『セッション』の場合はドラマーを志して入学したら鬼教官にいじめられまくる…。
他には恋人がはなれていく点や、ラスト10分が衝撃的なのも共通項です。
比較すると、夢と現実に揺れうごく『ラ・ラ・ランド』のほうがより一般人の感覚に近いと思いました。
『セッション』の場合は人生の夢というより、天才や才能とその狂気にスポットが当たっていて、非常に攻撃的でとがった作品です。(見る人によって多様な解釈ができるとは思いますが)
2作品のちがいによってデイミアン・チャゼル監督の洞察の深さが浮き彫りになっていると思いました。
『セッション』でわかるとおり常軌を逸した天才の意義に正面から向き合っているからこそ、『ラ・ラ・ランド』のような恋愛ミュージカルでも単に音楽で飯が食えない男以上の深みが描けるのでしょう。
『ファーストマン』(2018)も好きですが、デイミアン・チャゼル監督が脚本を描いておらず、『セッション』や『ラ・ラ・ランド』とはだいぶ毛並みの違う作品になりました。
なので監督としてはブラッド・ピットとマーゴット・ロビー主演の『バビロン』でどんな洞察を見せているかが楽しみです。
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