映画『ジョジョ・ラビット』を視聴。冒頭はなかなか入り込めず、自分には合わないかと思ったが、中盤からグッと引き込まれた。
監督は『マイティ・ソー/バトルロワイヤル』を撮ったタイカ・ワイティティ。
良い意味で独特な感性の映画だと感じたので、『ジョジョ・ラビット』という映画の特徴を、感想や考察含めて書いてみた。
映画『ジョジョ・ラビット』ネタバレ考察/子ども視点で戦争を風刺
子どもの視点で戦争をコケに
映画『ジョジョ・ラビット』の最大の特徴は、子ども視点で戦争を風刺しているという点だろう。『禁じられた遊び』や『やさしい本泥棒』など、子どもにスポットが当たって戦争の悲劇を描いた映画は挙げればキリがない。しかし、間抜けな子ども視点で戦争をコケにした映画はあまり見たことがない。
戦争は悲惨なものであると同時に、広い視点で考えれば同じ人類同士がつまらない理由で殺しあってしまう、ものすごいアホな行為でもある。
ヒトラーかぶれの偏った思考の主人公ジョジョ・ラビットの目線からドイツの街を覗くことで、戦争がいかに愚かなものかを痛切に風刺することに成功している。
浮かび上がる母・ロージーの愛と過酷な生き様
子どもから見た戦争の可笑しさを描く一方で、映画『ジョジョ・ラビット』では、大人の苦しみや悲痛感といった描写は意図的にカットされている。
しかし想像の余地は巧く残してあり、逆に浮かんでくるものが多いのだ。
スカーレット・ヨハンソンが演じたロージー・ベッツラーと、サム・ロックウェルが演じたクレンツェンドルフ大尉、そしてゲシュタポ(秘密警察)の間では、子どものジョジョが見えないところで、かなり激しいやりとりがあったのだろうことは想像に難しくない。
そんな中でロージーは、ジョジョと普通に散歩したり、笑顔で話したりと、不安そうな表情はひとかけらも見せていない。
ジョジョへの愛情がそうさせているのだろう。映画ジョジョ・ラビットでは、何気ない母子の日常シーンに、涙させられる。
映画『ジョジョ・ラビット』ネタバレ解説/不条理を受け入れ、演じる大人たち
映画『ジョジョ・ラビット』を見て素晴らしいと思ったのは、サム・ロックウェル演じるクレンツェンドルフ大尉たちなど、ナチスが正しくないと感じながらも愛国者を演じていた大人たちの存在だ。
戦争当時ドイツはナチス一色。歯向かえば命はないという状況で、ヒトラーを盲信してしまう人もいれば、信奉しているフリをしていたクレンツェンドルフ大尉のような人も多かったのかも知れない。
“フリをしている大人”たちは、実際に戦時下でもさりげなく誰かを助けていたのかも。そう、きっとジョジョの母親ロージーや、クレンツェンドルフ大尉のように。
そんな風に考えると、人間というものに希望がもてる。
そしてこの“正しくないとわかっていて演じる大人たち”は、日本社会にも、あなたの周りにもいるのではないだろうか。
社会のルールは曲げることは出来ない、レールから降りることもできない。でも、心の奥底に美学のようなものを持っていて、自ら悪い見本となり、若い子たちを導いてくれる。
そんな視点で世界を見てみると、世の中捨てたものじゃないと感じられる。
『ジョジョ・ラビット』は、それを悟らせてくれるという面で評価されたのではないだろうか。
ジョジョ・ラビットとヒトラーのイマジナリーフレンドの関係を解説
映画『ジョジョ・ラビット』では、コメディアンで俳優でもある監督のタイカ・ワイティティが、主人公ジョジョの空想上のアドルフ・ヒトラーを演じていた。
表面上は動きが面白くてアホなヒトラーで、それと喋って解答を導き出すジョジョも可笑しくて…という感じ。
なんだけど一方で、独裁者が人民を洗脳するとき、人々の頭の中はこうなっているのではないか。ましてや想像力の強い子どもなら、頭の中でヒトラーが喋ることもあるだろう。そんな奇妙なリアリティがある。
ジョジョは父親が行方不明ということで、心理学でいう成長するための“父親殺し”もヒトラーが兼ねているのだろう。
ヒトラーのイマジナリーフレンドが、この映画をグッと個性的にしているのだ。
少年ジョジョのように、独裁者ヒトラーを頭から追い出すためには、理性を超えた普遍的な恋、そして周囲の助けが必要なのかもしれない。
映画『ジョジョ・ラビット』感想・評価まとめ(ネタバレ)
子どもの視点で戦争の愚かさを描き、普遍的な大人の愛情を認識でき、ヒトラーのイマジナリーフレンドで味付けされた映画。それが『ジョジョ・ラビット』だと思う。
連発されるシュールなギャグには好き嫌いが別れるかもしれないが、観る価値のある映画だと思う。