ネタバレ考察『エブリシング エブリウェア オール アット ワンス』マルチバースの解釈が画期的,エブエブ

  • 2023年3月10日

『エブリシング エブリウェア オール アット ワンス』のバースジャンプによるマルチバースの新解釈や、ブラックホールベーグルなどその他の設定について深掘り考察しています。

記事は全編ネタバレありなので未鑑賞の人は注意してください。

↓ストーリーのネタバレあらすじ解説は下記記事へ↓

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映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』

映画『エブリシング エブリウェア オール アット ワンス』考察(ネタバレ)

バースジャンプによるマルチバースの新解釈

映画『エブリシング エブリウェア オール アット ワンス』が画期的なのは、なんといってもバースジャンプ!

シネマグ
何がすごいかというと、バースジャンプですべてのマルチバースの時間軸の横のラインがそろうと解釈した点です。

要はバースジャンプには、時間軸は一緒という暗黙のおまけルールが組み込まれているということ。

バースジャンプしたエヴリンはどの並行世界でも年齢は基本世界と変わりません。年齢が変わらないばかりか、生きてきた時間は秒数まで完全にシンクロしています。

同じ時間軸の別次元の自分に意識を接続することができるのがバースジャンプなので当たりまえに受け入れられちゃいますが、時間軸がピッタリとそろう表現は画期的です。

同じ感情をシェアして同じような目的を複数の世界線で達成できるからです。

エヴリンがランドリーの外で娘を抱きしめながら、他の世界ではブラックホールベーグルから助け、他の世界ではチャドとアライグマを救い、他の世界では石となって…というカタルシスの同時多発テロが起こります。

これこそがEverything Everywhere All at once(すべてが、すべての並行世界で、いっせいに)なのでしょう。

すべてのエヴリンがそれぞれの世界で違った目的のために行動しながらも、何かを達成する感動が同時に味わえるわけです。

これが最先端カオスといわれるゆえんでしょう。瞬間的なシンクロだからこの見せ方ができるわけです。

マーベル作品のようにマルチバース間の身体的な移動がともなうと、移動の時間のぶん本人同士のタイムラインはピッタリそろいません。

ブラックホールベーグルの意味

本作のヴィランであり主人公・エヴリンの娘でもあるジョブ・トゥパキ(ジョイ)が作ったブラックホールベーグルは何をあらわしているのでしょうか?

ブラックホールベーグルは、マルチバース世界の縮図だと思います。

映画内では、すべての存在を凝縮させたもの的な解説がされていましたが、すべてのバージョン=すべての可能性を凝縮したと言い換えられるでしょう。

これが何を表しているかというと解釈は多数あるでしょうけど、すべての可能性が同時に存在する=完全な無につながるという思想だと思います。

ストーリーにどんな意味があるかと言えば、エヴリンとジョブがそれぞれ「こんな娘だったら…」、「こんな母親だったら…」と考えられる可能性は無限にあれど、その世界の相手に向き合わなければ無意味だということ。

母娘の関係は、お互いに向き合ったときにそれがどんなものであれ意味のある時間になるのであって、可能性を探求してもそこには虚無しかないというメッセージが伝わってきます。

ブラックホールベーグルは、すべての可能性=無であると否定し、同じ世界にいる人を愛することでしか道を開けないと視覚的に表現しているのです。

鏡や監視カメラの世界

冒頭ではやたら丸い鏡がクロースアップされ、別世界から来たウェイモンドがランドリーで暴れるシーンが監視カメラの映像に映ります。

鏡の世界やカメラの映像は現実のようで、現実とはいえない虚像の象徴です。よってこれらはマルチバースを表現しているといえます。

エヴリンが並行世界に意識を飛ばすときにも鏡が割れたようになりますしね。

これらの表現がストーリーにどんな意味を持たせているかというと、人生の分岐点=マルチバースはすぐそばに存在するというメッセージでしょう。

ジョブが言っていたすべての世界は素粒子の組み換え…的な視点で考えれば、光の分岐点でマルチバースも無限に分岐しているということかもしれません(物理には疎いので説明はできないですが)。

ニヒリズムと新実在論

ダニエル・クワン,ダニエル・シャイナート監督がパンフレットで本作エブエブについて、「ネット社会の多様性におけるニヒリズムがアイデアとしてある」と言っていました。

確かにニヒリズム(人間やすべてが無価値だという虚無主義)が、ブラックホールベーグルやジョブの存在として体現されています。

ただ、エヴリンが別の世界では大スター(ミシェル・ヨー自身)で、マルチバースに接続する自分の映画を試写会で見ているというシーンから、ニヒリズムだけでなく次元を越えた新実在論のようなテーマも感じました。

新実在論とはドイツのマルクス・ガブリエルが『なぜ世界は存在しないのか』という本などで提唱したもので、すごくカンタンにいうと、何かしらの意味があれば、その場(意味の場)の限りにおいて実際に存在しているという少し前にかなり注目された理論です。

極端にいえば映画や空想など次元が違うものも、心の中やどこかしらに実際に存在しているということ。ニヒリズムや相対主義などの“答えがなく人それぞれ”な虚無の思想に対抗する目的があります。

たとえマルチバースが実際になく、エヴリンの裏設定であるADHDやその他の妄想の産物だとしても、エヴリンの中にある多様な世界が、娘ジョイや夫ウェイモンドと生きる現実を肯定した事実は変わらないのです。

実際に監督が新実在論を参考にしたかはわかりません。

しかしマルチバースを単に現実の並行世界としてだけでなく映画や落書きの世界、石ころの世界など次元を超えられるものとし、人生のみならず思想やアイデアすべてが価値を持ち、かつ分かり合えると映像で表現した点で通ずるものがあると思います。

私は哲学の専門家ではないですが、哲学的な思想を示したという意味でもエブエブに価値を感じました。

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