映画『東京物語』ネタバレ考察:義理人情の裏にある漆黒、戦争の影,なぜ名作か感想解説レビュー

  • 2023年3月2日

映画『東京物語』は1953年に公開されて世界的な評価を得た小津安二郎の名作。

私ごときが考察するのもはばかられ、原節子演じる紀子的に言えば「とっても汚い考察ですが…」となるかもしれません。

ただ、2023年にこの作品を見直してみて時代性・普遍性などの観点から気づいたことがあったので完全独自目線での考察や、感想・解説をしていきたいと思います。

あとは『東京物語』を見て「つまらない」「何が良いかわからない」と感じた方も参考にしていただければと思います。

映画『東京物語』ネタバレ感想・世界的な評価の理由

映画『東京物語』

根底に非常なもの悲しさが流れていると感じました。

原節子演じる紀子(のりこ)が、戦死した夫の母・とみ(東山千栄子)とのやり取りなど目頭がグワっと熱くなり、紀子と義理の両親との関係はすごくあたたかいのです。

しかし、それらの人間関係の影に数年前の戦争の影がありありとうごめいています

周吉(笠智衆)ととみが紀子の家に行って息子(紀子の旦那)の晶二の写真が飾られているのを見つけたシーンには、紀子の義理深さに感動すると共に、背筋がゾクっとする怖さがありました。

良し悪しは置いておいて、戦死した夫に縛られて生きる紀子の感情を考えると、8年間も心が幽閉されていたとわかり、ホラー的な怖さがあります。

それに気づいてからというもの、紀子を正面から映すアングルになると彼女の瞳に狂気のようなものが宿って見えるのです。

この一連の流れには感服せざるを得ませんでした。

両義性というか、義理人情の裏に漆黒ともいえる感情が見え隠れしているのが、『東京物語』が歴史的な名作として人を惹きつける1番の理由だと思いました。

ただ単に戦後の日本的な人情を表現しているだけではなく、微細な感情表現も魅力ですがそれだけでもなく、感情の明暗のコントラストに人間が本来持つ狂気的なものを感じるのです。

だから静かに会話しているシーンでも、見ていて心がかき乱されます。肉体的な動きは少ないですが、精神的なダイナミズムはすごい。

紀子と周吉、とみのシーンは特にわかりやすいですが、感情の明暗は作品全体にただよっており、物語に異様な深みを与えているのです。

実際の感情とセリフの乖離もすごく、想像する余白が多いともいえるでしょう。

イマジナリーラインを無視する小津調のカメラワークはもちろん、日本の家屋の障子や引き戸を利用した奥行きのある構図、絵画的で美しい構図など、映像自体の魅力も満載です。

『東京物語』考察(ネタバレ)

紀子の人生と、家族の喪失の対比

紀子と周吉

本作で魅力的かつ芸術的とまでいえるのは、紀子が感情をおもてに出さないこと、それ自体です。

感情を出さないことが葛藤を抱えている証明であり、視聴者に感情を探らせる大きな動機となっています。

ラストでようやく、とみが死亡して葬式のあと、紀子は義父・周吉に「戦死した夫・晶二を思い出さない日もある」と涙ながらに吐露しました。

生前のとみも、周吉も「気にせずお嫁に行け」とは言っていましたが、きっかけはやはりとみの死です。

つまり紀子の新しい人生は、家族の喪失によってはじめて可能になるのです。

とみが生きている間は、紀子も義理から他の男性と結婚しずらいということもあったでしょう。

ただ、そういう打算的な感情でなく重要なのは、義母の死が紀子の新たなスタートの契機となったこと

平山家の静かな崩壊なしには紀子の心の解放もなかったような非常に残酷な構図とも取れます。

紀子本人も暗にそれに気づいてしまったから、最後に感情を爆発させたのではないでしょうか。

そして周吉もそこまで読み取って「あなたは素晴らしい人だ」と返しています。

小津作品の感情表現は、まるで水面から漆黒の深海にまでおよんでいるようです。

真の人情の裏に真の残酷さをそえるような表現は、戦争を経験した世代にしかできない気がします。

ハリウッドに多い感情の二項対立というシンプルなものでなく、義理、亡き夫への愛、過去を捨てる自分を許せない気持ち、1人身で寂しい気持ちなどなど、さまざまな感情が交差しているのです。

ラストの汽車と船の意味

紀子が東京へ帰る汽車を、京子が見つめます。そして汽車の後ろには船が汽笛をあげて反対側へ進んでいきます。

行き交う汽車と船は紀子と平山家がもう運命共同体で無くなったとこを示唆しているようです。

白い船は、紀子の過去は葬られたという表現にも見えます。

いろんな解釈ができますが、叙情的で美しいラストだと思いました。

ハイコンテクストな会話

当たり前かもしれませんが、『東京物語』をみていると70年前の日本が2023年現在とは比較にならない超ハイコンテクストな文化だったことがわかります。

笠智衆演じる周吉の立場なら、「ああ」「やあ」「んん」「んやあ」などのあいづちで事足ります。

70年前の人たちがどんな会話をしていたか本作だけで断定することはできませんが、会話表現からさまざまなことが推測できて見ていて飽きません。

また紀子が周吉ととみをアパートに招待するときも、「とっても汚いとこですけど」と行きすぎたように思える謙遜(けんそん)をし、出前で取った丼ものにも「美味しくないですけど」と言い切っています。

70年前は現在と謙遜のレベルも違ったのですね。それだけ自分を下に見て、相手を上に立てる習慣が強かったということでしょう。

古い文化は素晴らしい!と単純なことは言いたくないですが、小津安二郎の作品には今はもう死んでしまった日本がありありと描かれているようで、実際に私が経験したはずもないですが、ノスタルジーに浸ってしまいます。