『モアナと伝説の海2』考察:ナロ=陰謀論、ネット社会の分断を修正
ネット社会やコロナによる分断がテーマ
モアナは他の島との交流がないことに疑問を持ち、モトゥヌイ島を復活させて他の部族と出会いを果たす今作の物語のテーマは、ネット社会による分断や、コロナによる断絶だと感じた。
現代社会でもSNSの流行やコロナによる断絶など、ある地点から人と人が顔を突き合わせて交流することが少なくなった。
本当にそれでいいのか?どんなにコストを払ってでも、たとえそれが危険でも、知らない人々や他の地域の人々と交流を続けることが人類史において必要なのではないか?
人間関係におけるアナログ的な原点回帰が物語の根底にあった気がした。
ナロは陰謀論のメタファー?
ボス的な存在のナロは、ネットに跋扈する陰謀論のメタファーに見えた。
劇中でナロが人々の交流を断絶すれば自分の物語が強まると考えていると判明。陰謀論の構造そのまんまだ。
等身大の人々がさまざまな意見を持って交流できる場所をなくし、自らの物語を強めていく。
陰謀論に踊らされて左派と右派が話もできない現在のアメリカの状況を反映したテーマになっていると感じた。
続編のモアナ3があるとすれば、リベラル代表のモアナが保守代表のトランプみたいなナロと対決する…的な内容になるかもしれない。