タイトルの意味:あのとき4コマを描かなければよかったのか?
『ルックバック(look back)』には、振り返るや回顧するという意味がある。
藤野は京本の死後に家を訪れ、京本が引きこもり大会の4コマ(小学校の卒業式で描いた)をジャンプのしおりとして使っていたと知り、自分のせいで京本が漫画や絵に熱中した→自分のせいで京本が死んだ!という思考に陥ってしまう。
そのあとで京本が描いた4コマ(通り魔を藤野がやっつける)を見た藤野は、自分の想像との一致という偶然性から別の世界線では京本が生きていると妄想したかもしれない。そのすぐ後、藤野は京本と過ごした青春をルックバックする。
しかし、例えばの話で別の世界線で京本が生きていたとしてもそれは藤野が知っている京本ではない。藤野にとって大切な京本は、別世界で生きている彼女ではなく、死んだ京本なのだ。藤野は最後にそれに気づいたのではないか。
想像の世界線のあとに現実で起こった青春をルックバックしたことで、藤野は京本の死を正しく受け止められたように感じた。
過去に戻れたとしても、2人が一緒に漫画を描くことは止められないのではないか。ラストはそれを悟ったルックバックだった。
なぜ漫画を描くのか?
最後に京本の部屋に入った藤野は、「じゃあなんで藤野ちゃんは描いてるの?」という13歳の頃の京本の言葉を思い出す。
その直後に京本と一緒に読切を完成させた思い出が回想されることから、藤野にとって漫画は京本と心を通わせるプラットフォームそのものであったことがわかる。さらには「シャークキック」の読者との繋がりを感じられるプラットフォームでもある。
理屈を超えた部分で人と繋がれるから藤野は漫画を描くのだろう。漫画自体は虚構=フィクションであっても、人との繋がりは現実なのだ。
そして京本の影響を受けた藤野が漫画を描く=京本の存在と読者をつなげることでもある。
こういう言葉にしてしまうと小難しいことが説明セリフでなく絵だけで伝わってくるから『ルックバック』は傑作なのだと思う。
原作漫画と映画の違い
原作漫画と映画に大きな違いがあるように感じなかった。映画は内容もセリフも絵も原作漫画に忠実だった。
美術大学での襲撃場面で犯人のセリフが京アニ事件の犯人を想起させるので変更されているのが主な違いではないだろうか。
大人よりも大人な2人の青春
青春のみずみずしさを描きつつも、藤野と京本の関係についてはかなり大人だと感じた。
藤野にはアイデアがあり、京本には画力がある。お互いに補いあって最高のバディになれたが、リアルな小学生なら自分より絵が上手いやつなんか許せない!と決別してしまいそうだ。
大人なら自分にできないことを誰かに任せる判断ができるかもしれないが、子供のうちは全て自分ができると勘違いして分業の判断が出来ないことの方が圧倒的に多いだろう。
でも絶対に子供のうちから自分の武器と相手の武器がそれぞれ違っても尊重しあえる関係を築けるほうがいいし、お手本があればできるはずである。そういう面で映画『ルックバック』は理想を描いているかもしれないが、社会や教育を変えていく力があると感じた。