映画『福田村事件』あらすじネタバレ考察「なぜ朝鮮人が悪者にされたのか?」

  • 2024年7月6日

あらすじネタバレ・ラスト結末

澤田智一(井浦新)は朝鮮半島で日本軍の非道な行いを見て生きる意欲を無くし、妻・静子(田中麗奈)と一緒に地元の千葉県・福田村に戻ってきた。

長谷川秀吉(水道橋博士)は腑抜けになった智一をバカにする。

渡し船の船頭の田中倉蔵(東出昌大)は、未亡人の島村咲江(コムアイ)と恋愛関係にあった。

ある日田中は船に乗ってきた静子に言い寄られて彼女を抱く。智一と咲江は陸からその光景を見ていた。しかし何もできなかった。

そんな中、関東大震災が起こり、「震災後に日本に恨みを持った朝鮮人が火をつけてまわっている」との噂が日本各地に流布される。

長谷川らは自警団を結成し、怪しい人物がいないか村を取り締まった。

そんなとき、沼部新助(永山瑛太)率いる薬売りの行商の一団15人が村にやってきて、船頭の田中とトラブルになる。

長谷川が駆けつけ「お前たちは朝鮮人ではないか?」と疑った

派出所の警官が、沼部から日本人の行商であるという証書を受け取り、役場へ確認しにいく。

かつて朝鮮で日本軍の虐殺を止められなかった智一と、静子が止めに入った。静子は「行商から薬を買った」と証言した。

しかし長谷川らはその間に加熱。

沼部は「朝鮮人だったら殺してもいいのか?」と叫んだ。

絶望していた女性・富(東京に出稼ぎに行って震災後に連絡がない夫が、朝鮮人に殺されたかもしれないと考えている)は、ナタで沼部の頭をかち割って殺害してしまう。

長谷川たちはもう止まらず、行商たちを追いかけて次々に刺殺、銃殺と非道の限りを尽くす。

妊婦含んだ9人を殺害したところで、警官がやってきて「行商は日本人だ」と叫んだが時すでに遅し。

自警団のうち8人が逮捕されて有罪になるが、恩赦によりすぐに釈放される。

関東大震災の直後に朝鮮人に関するデマが広まって、朝鮮人・中国人・共産主義者ら約6000人が殺されたとエンドロールに記載がある

現在の日本、ネット社会への風刺

1923年の千葉の田舎・福田村での出来事をもとにしているものの、現在の日本へのドギツイ風刺になっている点が興味深い。

福田村事件のテーマのひとつが村社会の狂気だろう。村で醸成される異様な空気に飲まれ、朝鮮人が虐殺をしているデマに流されて行商人を殺してしまう。

もちろん村社会の気質は福田村事件から100年経っても日本人から抜けていない。

それだけでなく、福田村で人々がよそ者の排除こそが正義だと猪突猛進するありさまは、ネットのエコーチェンバー現象そのままだと感じた。

現在の日本では福田村のような閉鎖的な地域は少なくなっているだろうけど、代わりにネットやSNSの閉鎖的なコミュニティが増え、自分たちと違う意見の人たちを攻撃している。構造としては福田村の事件と一緒だ。

人間は何年経っても異なるコミュニティを攻撃することをやめられない生き物なのかもしれない。

この村でしか生きられない人々

映画『福田村事件』

長谷川秀吉(水道橋博士)が行商の1人を殺そうとする。行商は田向村長(豊原功補)に助けを求める。しかし田向は、あんなに殺すな殺すなと言っていたわりに呆然と立ち尽くすだけで止めようとしない。長谷川は行商を刺殺する。

さらに田向村長は最後に記者・恩田楓(木竜麻生)に、「この村のことは記事にしないでくれ〜」と懇願していた。見ず知らずの他人の命より、村のトラブルを回避することが重要なのだ。

もちろん田向村長はショックを受けて何もできなかったとも取れるが、長谷川を止めることで彼と敵対して村が二分されるよりは、よそ者を殺させて隠蔽した方が、今後も村で生きていく自分や村人にとっていいだろうとの算段が多少なりともあったと思われる。

確かに、当時は今のように軽々と他の土地へ移住なんて財産がなければできなかっただろう。

村で生きるしかないのに、他の村人と対立でもしたら、本当に死活問題だ。その精神性が現在の日本人にも受け継がれているのだと思う。

田向村長は現在まで続く日本人の精神性を象徴した人物だった。

良心の呵責による反動:社会が反朝鮮になる理由

澤田智一(井浦新)が腑抜けのような状態になったのは、朝鮮で朝鮮人29人の虐殺に加担してしまったからだと後半で明らかになる。

智一が妻・静子に告白する韓国語のセリフがあったが、意味は「我々は謝罪しにきたから教会の中に入ってほしい」というもの。

教会の中に入った朝鮮人たちを軍人が銃殺し、まだ生きている人もいたのに火をつけたという悲惨な虐殺となった。

おそらく智一のように、良心がありながら軍の命令に逆らえず虐殺に加担、もしくは止めずに黙認したことで苦しんでいる人はたくさんいたのだろう。

直接は現場に居合わせなくても、そのたぐいの話を聞いて「日本軍はこんなことをしていたのか…」とショックを受けた日本人もたくさんいたと思う。

日本の大衆が良心の呵責を解消するためにはどうすべきか。朝鮮人を極悪非道の悪者にすればいい。殺害や虐殺も仕方なしと思えるからだ。

千葉日日など新聞社が朝鮮人を悪者扱いすることを大衆から求められたのは、大衆が日本側の非道を認めたくない心理からだろう。

日本人がそんなことをするのは、朝鮮人がよっぽど悪い奴らだからだ…と思い込みたかったのだ。

震災直後に朝鮮人のデマを流し悪者扱いした原理は、日本軍の非道な行いを見聞きしての良心の呵責からだったとの解釈ができる。

朝鮮人に関するデマは、当時の日本人が自分たちの行動を正当化するための必然だった。心理的な合理化、認知的不協和を解消するための大衆行動だったのだろう。