ドライブ・マイ・カー/劇中劇のパラドックスとメタファー
©︎ドライブ・マイ・カー製作委員会
まず念頭に置いてほしいのが、先程解説したなぜ棒読みが効果的かにつながる“俳優の大袈裟な演技はダメ論”。イタリア式本読みでなくても、「役者は演技をするな」という考え方は古今東西にあります。
ジブリの宮崎駿監督が素人を声優に起用することや、黒澤明監督が町人のシーンを撮るときに役者に何も言わず何時間もやらせてヘトヘトにしてからカメラを回すなどなど。
これは『ドライブ・マイ・カー』の劇中でも強く説明されています。
主人公・家福が、登場人物の気持ちについて迷っている役者に「あなたがそれを考える必要はない」と言い放ったのが印象的でしたね。
俳優の固定観念で変な解釈を加えて演技をすれば、ストーリー全体の意味が変わってしまい、劇がひどいものになる可能性があるからです。
もちろん、俳優が一生懸命キャラクターの気持ちを考えて表現し、それが映画などで功を奏する場合も沢山あります。
今の日本のメジャー映画では、どちらかというと俳優が自分の解釈を演技に入れ込む方が主流ではないでしょうか。
結論を述べると家福が実践するこの演技理論が人生におけるテーゼでありつつ、後半にアンチテーゼとしても発展していくのが『ドライブ・マイ・カー』の構造的に優れた点です。
家福の演技論を彼の人生に置き換えてみましょう。彼は「妻を失った心の傷だけに執着せずに人生(ストーリー)を見ろ!」という1つの答えを持っているにも関わらず、過去を克服できていません。
演技理論から影響を受けたのか、家福は私生活でも棒演技ですが、実はそれは正解であり不正解なのです。
『ドライブ・マイ・カー』の凄いところは、この棒演技理論によって見応えある映画の構築に成功していながら、最後にそれすらアンチテーゼとして破壊することです。
棒読み演技と感情を込めた演技の二項対立を否定するような、脱構築的な手法ですね。
終盤で西島秀俊演じる家福がみさきの前で泣きますが、ここが自身の演技理論を破壊した瞬間であり、正しく傷ついた瞬間です。
高槻が言ったように家福は自分自身を深く見つめ直しました。
単純に劇中劇によるメッセージ(ワーニャ=家福、ソーニャ=みさき)が人生の答えのメタファーとなっているだけでなく、同時に「自分の行動は、人生を俯瞰している“距離を置いた自分”ではなく、いまこの瞬間を生きる自分で決めろ」と伝わってきます。
家福は“演技をしない演技”で妻を失い、その傷からの逃避をやめ、しっかり傷ついて、自分自身を再認識しました。
人生俯瞰モードから今を生きるモードになり、過去や未来よりも今を選択したのです。
この瞬間、彼は演技をしなが生きることから卒業しました。
観客は「劇中劇の演技理論によるパラドックスの構造だ」とイチイチ思いつかなくても、ひとつの信念が破壊され、再構築されたような美しさや感動は伝わってきます。
だからこそ映画『ドライブ・マイ・カー』は海外の賞レースでも高い評価を得たのではないでしょうか。
アカデミー賞作品賞は獲れなかった…
映画『ドライブ・マイ・カー』は作品賞、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞の4部門にノミネートされましたが。
アカデミー賞は2022年時点で世界に9500人いるアカデミー会員の投票できまります。
アカデミー会員は著名や監督や俳優、制作スタッフで構成されていますが、近年は非白人会員も増えているのもポイント。『パラサイト 半地下の家族』が受賞できたのは非白人会員が増えたからだともいわれています。これは『ドライブ・マイ。カー』の受賞にとって追い風でした。
さらにハリウッドの思想的な流行も大事です。(近年は、ポリコレやNo社会分断!が主流)
作品として優れていることはもちろん、ハリウッドの政治色に近いものが選ばれます(エンタメ性が強くて面白い作品が選ばれるわけではありません)。
ここ数年の作品賞受賞映画は『ムーンライト』(2016)『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)『グリーン・ブック』(2018)『パラサイト半地下の家族』(2019)『ノマドランド』(2020)。
いずれの作品も差別問題や社会格差・分断が大きなテーマになっていますね。(『シェイプ・オブ・ウォーター』もある意味種族間の分断だといえますし)。
『ドライブ・マイ・カー』はイ・ユナ演じる韓国人唖者の役者であったり、舞台劇で英語・日本語・手話など言語の壁を越えて演じるコンセプトがあります。
これによって多様性や差別問題、社会分断といった問題提起に対して、演技で交流するという1つの明確な答えを提示しているのです。この点は強いですね。
映画制作者たちに刺さりやすい演技の葛藤が大きなテーマになっているので、高い評価を得やすいと予想できました。
『パワー・オブ・ザ・ドッグ』もLGBTQをテーマにしている近年注目のクィア映画なので票を集めやすいでしょう。(そして素晴らしいストーリーと演技の映画でした)
『ドライブ・マイ・カー』の受賞を期待してましたが結果は、作品賞はろう者の家族を持つ少女を描いた『コーダ あいのうた』に譲る形に。
その他の作品賞ノミネート作で比較すると、社会の分断を強烈に風刺したコメディ『ドント・ルック・アップ』や、スピルバーグ監督のミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』よりは、問題提起だけでなく答えを映像で提示した『ドライブ・マイ・カー』の方が、作品賞として選ばれやすいタイプだと思いました。
『コーダ あいのうた』よりアート的な面では『ドライブ・マイ・カー』の方が良かったと個人的には思いますが、コーダも素晴らしかったので仕方ないですね。
結果は国際長編映画賞のみでしたね。主要部門もとってほしかったです…。
最後のまとめ
映画『ドライブ・マイ・カー』はエンタメ性というより、視聴者自身がメッセージ性を能動的に取りにいく必要がある、好みが分かれるタイプではあります。
ただ演出・セリフ・ストーリーが相まってミラクルなシーンが多くあり、完成度は抜群!
ここまで読んでいただきありがとうございます。『ドライブ・マイ・カー』レビュー終わり!
おまけ:ドライブ・マイ・カーをYoutubeで解説
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