映画『ナミビアの砂漠』
考察:ナミビアの砂漠の意味、結局何を伝えたいのか?
物語ネタバレあらすじ・ラスト結末解説
視聴しての正直な感想・評価(ネタバレあり)
これらの情報を知りたい人向けにわかりやすくレビューしていきます!
映画『ナミビアの砂漠』作品情報
制作国:日本
上映時間:2時間17分
原題:『desert of namibia』
ジャンル:ヒューマンドラマ・青春
監督・脚本:山中瑶子
撮影:米倉伸
音楽:渡邊琢磨
映画『ナミビアの砂漠』あらすじ
カナ|cast 河合優実(『あんのこと』『四月になれば彼女は』『PLAN 75』)
ハヤシ|cast 金子大地
ホンダ|cast 寛一郎
イチカ|cast 新谷ゆづみ
東高明|cast 中島歩
遠山ひかり|cast 唐田えりか(Netflix『極悪女王』)
脱毛サロンで働く21歳のカナ(河合優実)は、特に何の目標もなくタバコとスマホを肌身離さず生活していた。
カナは恋人のホンダ(寛一郎)と同棲していたが、ホストクラブへよく通っていた。さらにハヤシ(金子大地)という男と浮気をし、彼に乗り換えようと考える。
※以下、映画『ナミビアの砂漠』のストーリーネタバレありなので注意してください!
考察1:「ナミビアの砂漠」の意味
ナミビアの砂漠についての結論からいうと、主人公・カナが「ナミビアの砂漠のライブ動画」を観察するように、「カナ自身の私生活」もこの映画で観察されている意味があると考える。
カナが見ていたナミビアの砂漠は、砂漠に設置してあるライブカメラの映像。ナミビアの砂漠の水飲み場に実際に定点カメラが設置されていて、水を飲みにやってくる動物を24時間監視できるものだ(実際のライブ動画)↓↓
渋谷のスクランブル交差点にもライブカメラが設置されていることで知られているが、そういった定点カメラは世界中にあり、Youtubeで視聴することができる。
日本人の若い女性の生活をライブカメラ映像のように見せる意図があったのではないだろうか。
ちなみにカナの職業が脱毛サロンというのも、砂漠化の原因である森林伐採にかかっている気もする。
考察2:テーマは“わからない”こと
メッセージやテーマを言語化しやすい映画もあれば、そうでない映画もある。『ナミビアの砂漠』は圧倒的に後者だろう。下手に言語化すると陳腐になってしまう作品だ。あえていうなら、“説明しようとしてもわからない”というのがテーマだと思う。
カナの私生活での行動原理を説明しようと思ってできる人はいるだろうか? 公正明大とは程遠い彼女の生き様に惹きつけられるのはなぜか?上手く説明できる人はいるだろうか?
そんなことはわからないし、わからないままでもいいというのが大きなメッセージだと受け取った。(美しい名画をいくら言葉で表現したとて、実際に見たときの感動を超えることはできない)
ラストシーンのティンプトン(廷普顿、听不懂)は、意味がわからないということ。これはこの映画を解釈しようとする者への嘲笑にも聞こえる(悪い意味ではなくて)。
カナは精神科医の葉山の頭の中では何を思ってもいいという言葉を受けて、キモいロリ○ンの思想は許されるのか?とたずねた。それに対して葉山は、なぜそう思うんですか?を繰り返した。
カウンセリング上はなぜ?を繰り返すことで自覚させる意味があるのかもしれないが、ロリ○ンがキモいという感情の理由を問われても究極的には“わからない”だろうし、深く掘り下げる意義がどれだけあるか疑問である。
カナが描いた(ハヤシの肩の刺青になった)イルカの絵も意味がわからないし、なぜこれが映画館の特典になっているのかも意味がわからない。
カナの青春も他の全てのことも意味がわからない。でもそれでいいじゃないか…というわからないことを受け入れるステキな作品だと感じた。
考察3:最後に部屋の配置が入れ替わった理由
最後にカナとハヤシの部屋の家具の位置が左右反転していた。これには、この作品がずっと視聴者側の映像を自分でモニタリングしていた意味があるように感じた。観客はカメラの向こうを見ていたのではなく、WEB会議で映る自分の顔のようにモニターを見せられていたということ。
何が言いたいのかというと、カナの生活はカメラの向こうでなくこちら側(現実)ですよ!という表現だと考える。
また、ナミビアの砂漠の動物たちから見るのと自分で自分を見るのでは左右逆に見える(常識が違って見える)など、いろんな考え方ができる。
ラスト結末までのネタバレあらすじ解説、本作の正直な感想は次のページへ↓↓
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